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今昔物語集

巻1第12話 仏勝蜜外道家行給語 第十二

今昔、天竺に外道有り。名をば勝蜜と云ふ。「仏1)を何(いか)で殺害し奉らむ」と思て、謀(はかりごつ)に、思得たる様、「仏を請じ奉らむ」と。

「輙く来り給はば、『例の人の様に御けり』と知らむ。来給はずば、『実に賢く御けり』と知るべし」と云定て、使を奉て、請じ奉るに、即ち御すべき由を受給つ。勝蜜外道より始めて、「あなかま、あなかま」と、各手掻き喜て謀つ様、門の内に広く深き穴を掘て、底に火を多く置き、釼共を隙無く立たり。其の上に、薄き板を敷て、其の上に砂を置たり。此の如くして、仏の来給を待奉る。

外道の子共の中に一人の子有り。父に云様、「父に御すとも、此の謀り給ふ事、極て墓無し。仏は此の如の謀に、計られ給べきに非ず。末々への御弟子だにも、人の謀に謀らるべきに非ず。何況や、仏の智恵は量無き也。かかる嗚呼(をこ)の事をし給ふ、速に此の事を留め給ふべし」と。父の外道の云く、「仏、賢こそ御せば、かく謀ると知て御さでぞ有るべきに、輙く、『御む』と宣たるは、謀られ給ぬべきなめり。されば、由無し事な云そ。只居たれ」と、はした無く云へば、子、又云ふ事無くて止ぬ。

さて、仏の御儲を営む。必ず殺し奉べき謀共をして待ち奉る程に、仏、光を放て、漸く疎(おろそか)に歩て、来り給へり。御弟子の声聞・大衆等、仏の御後に立て有り。仏、門の前にて宣はく、「汝達、努々我が前喬(まへそば)に立つべからず。只、我が後に歩み続て入るべし。又、物食む時にも、我が食て後に食ふべし。我が食はざらむ前に、努々箸を下すべからず」と、誡め宣て、門を入り給ふ。

外道共及び、家の人、皆悉く引将て、門の側に居並て、仏の入り給ふを、「今や、穴に落入て、火に焼け、釼に貫かれ給ふ」と、喜び守り奉る程に、穴の内より大なる蓮花共栄き満て、其の上を圬(しづ)かに差し歩て入り給ぬ。御弟子達も、皆、仏の御後に歩み継て入ぬ。外道共、「希有也」と思ふ。本意無き事限無し。

仏、御まし所に端坐し給ぬれば、飲食を供養し奉る。「さりとも、毒をし食し給てば、更に生給はじ」と思て、様々の毒を調へて供養し奉る。然而(しかれ)ども、供養し奉る毒、返て甘露の薬と成ければ、皆食し給ひつ。御弟子達も皆食給ふに、更に毒と成らず。

其の時に、外道、忽に此れを見て、悲の心を発して、愚かに謀つる事共を一々に仏に申す。其の時に、仏、慈悲を垂て、彼等が為に法を説て教化し給へば、彼等、法を聞て、皆、阿羅漢果に成にけりとなむ、語り伝へたるとや。

1)
釈迦
text/k_konjaku/k_konjaku1-12.txt · 最終更新: 2016/04/10 22:24 by Satoshi Nakagawa