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昔、年ごろおとづれざりける女、心かしこくやあらざりけん、はかなき人のことにつきて、人の国なりける人に使はれて、もと見し人の前に出で来て、もの食はせなどしけり。

夜さり、「このありつる人給へ」と、あるじに言ひければ、おこせたりけり。男、「われをば知らずや」とて、

　　いにしへの匂ひはいづら桜花(さくらばな)こけるからともなりにけるかな

と言ふを、「いと恥かし」と思ひて、いらへもせでゐたるを、「などいらへもせぬ」といへば、「涙のこぼるるに、目も見えず、ものも言はれず」と言ふ。

　　これやこのわれにあふみをのがれつつ年月経れどまさり顔なき

と言ひて、衣(きぬ)脱ぎて取らせけれど、捨てて逃げにけり。いづち去(い)ぬらんとも知らず。

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むかし年ころをとつれさりける女心かし／s68r

こくやあらさりけんはかなき人のことに
つきて人のくになりける人につかはれて
もと見し人のまへにいてきてものくは
せなとしけりよさりこの有つるひとたま
へとあるしにいひけれはをこせたりけり
おとこわれをはしらすやとて
　　いにしへのにほひはいつらさくら花
　　こけるからともなりにけるかな
といふをいとはつかしとおもひていらへ／s68l

https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/200024817/68?ln=ja

もせてゐたるをなといらへもせぬといへ
は涙のこほるるにめもみえす物もいは
れすといふ
　　これやこの我にあふみをのかれつつ
　　とし月ふれとまさりかほなき
といひてきぬぬきてとらせけれとすてて
にけにけりいつちいぬらんともしらす／s69r

https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/200024817/69?ln=ja