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昔、男女(をとこをんな)、いとかしこく思ひかはして、異心(ことごころ)なかりけり。さるを、いかなることかありけん、いささかなることにつけて、世の中を憂しと思ひて、「出でて去(い)なん」と思ひて、かかる歌をなむ詠みて、物に書き付けける。

　　出でて去なば心軽しと言ひやせむ世のありさまを人は知らねば

と詠み置きて、出でて去にけり。

この女、かく書き置きたるを、「けしう、心置くべきことも覚えぬを、何によりてかかからん」と、いといたう泣きて、「いづかたに求め行かん」と、門(かど)に出でて、と見かう見、見けれど、いづこをはかりとも覚えざりければ、帰り入りて、

　　おもふかひなき世なりけり年月をあだに契りてわれや住まひし

と言ひて、なかめをり。

　　人はいさ思ひやすらん玉かづら面影にのみいとど見えつつ

この女、いと久しくありて、念じわびてにやありけむ、言ひおこせたる、

　　今はとて忘るる草の種をだに人の心にまかせずもがな

返し

　　忘れ草植うとだに聞くものならば思ひけりとは知りもしなまし

またまた、ありしよりけに言ひかはして、男、

　　忘るらんと思ふ心の疑ひにありしよりけにものぞ悲しき

返し

　　中空(なかぞら)にたちゐる雲のあともなく身のはかなくもなりにけるかな

とは言ひけれど、おのか世々になりにければ、うとくなりにけり。

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昔男女いとかしこくおもひかはしてこと
心なかりけりさるをいかなることかあり
けんいささかなることにつけてよのなか
をうしと思ていてていなんと思ひてかかる
うたをなむよみてものにかきつけける
　　いてていなは心かるしといひやせむ
　　世のありさまを人はしらねは
とよみをきていてていにけりこの女かく
かきをきたるをけしう心をくへきことも／s32l

https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/200024817/32?ln=ja

おほえぬをなにによりてかかからんと
いといたうなきていつかたにもとめゆ
かんとかとにいててとみかう見々けれ
といつこをはかりともおほえさりけれは
かへりいりて
　　おもふかひなき世なりけりとし月を
　　あたにちきりてわれやすまひし
といひてなかめをり
　　人はいさおもひやすらんたまかつら／s33r

　　おもかけにのみいととみえつつ
この女いとひさしくありてねむしわひて
にやありけむいひをこせたる
　　今はとてわするるくさのたねをたに
　　人の心にまかせすもかな
返し
　　わすれくさうふとたにきく物ならは
　　おもひけりとはしりもしなまし
又々ありしよりけにいひかはして男／s33l

https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/200024817/33?ln=ja

　　わするらんと思ふ心のうたかひに
　　ありしよりけに物そかなしき
返し
　　なか空にたちゐる雲のあともなく
　　身のはかなくもなりにけるかな
とはいひけれとをのか世々になりに
けれはうとくなりにけり／s34r

https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/200024817/34?ln=ja