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発心集

第三第4話(29) 讃州源大夫、俄発心往生の事

校訂本文

讃岐国に、いづれの郡(こほり)とか、源大夫といふ者ありけり。さやうの者の習ひといひながら、仏法の名をだに知らず、生き物を殺し、人を滅ぼすよりほかのことなければ、近きも遠きも、おぢ恐れたることかぎりなし。

ある時、狩して帰りける路に、人の仏供養する家の前を過ぐとて、聴聞の者の集まれるを見て、「なにわざをすれば、人は多かるぞ」と問ふ。郎等のいはく、「仏供養といふことし侍るなり」と言ふ。「いでや、けうがり。いまだ見ぬことぞ」とて、馬より下りて、狩装束のままながら、中を分け入り、庭も狭(せ)にここら居たる人、「これ、情けなし」と見るに、胸つぶれて、ひらがりをり。

ここらの人の肩を越えて、導師の法説く傍らに近く居て、ことの心を問ふ。僧、恐しながら、説法をとどめて、阿弥陀の御誓ひ頼もしきこと、極楽の楽しき、この世の苦しみ、無常のありさまなんどを、細やかに説き聞かす。

この男、言ふやう「いといといみじきことにこそ。さらば、われ、『法師になりて、その仏のおはしまさん方へ参らん』と思ふに、道を知らず。『心をいたして呼び奉らん』と思ふに、いらへ給ひなんや」と言ふ。「まことに深く心をおこし給はば、必ずいらへ給ふべし」と答ふ。「さらば、われをただ今法師になせ」と言ふ。あれうのままにて、ともかくも言ひやらず。

その時、郎等寄り来て、「今日はもの騒がしく侍り。帰り給ひて、その用意して出家し給はば、よろしからん」と言ふに、腹立ちて、「おのれがはからひにては、われ思ひ立ちたることをば、いかで妨げんとするぞ」とて、眼(まなこ)をいからかして、太刀を引きまはせば、恐れをののきて、立ちのきぬ。おほかた、今日の願主より始めて、ありとある人、色を失なへり。

近く居寄り、「ただ今頭(かしら)剃れ。剃らでは悪しかりなん」と、しきりに責むれば、遁るべき方なくて、わななくわななく法師になしつ。衣・袈裟乞いて、うち着て、これより西ざまに向きて、声のあるかぎり、「南無阿弥陀仏」と申して行く。これを聞く人、涙を流してあはれむ。

かくしつつ、日を経て、はるかに行き行きて、末に山寺ありけり。そこなる僧、あやしみて、ことの心を問ふ。「しかじか」とありのままに言へば、貴とみあはれむことかぎりなし。「さても、物欲しくおはすらん」とて、干飯(ほしいひ)をいささか引き包みて取らせければ、「つゆ物食はん心なし。ただ、仏のいらへ給はんまでは、山・林・海・川なりとも、命の絶えんを限りにて、行かんと思ふ心のみ深くて、そのほかには何事も思えず」とて、なほ西をさして呼ばひ行く。

かの寺に、一人の僧あり。跡を尋ねつつ行きて、見れば、はるかの西の海ぎはにさし出でたる、山の端(は)なる岩の上に居たり。語りていはく、「ここにて、阿弥陀仏のいらへ給へば、待ち奉るなり」と言ひて、声をあげて呼び奉る。まことに、海の西に、かすかに御声聞こえけり。「聞き給ふにや。今ははや、帰り給ひね。さて、七日ばかり過ぎて、またおはして、わがなりたらん姿さまを見給へ」と言ひければ、泣く泣く帰りにけり。

その後、言ひしがごとく、日ごろへて、その寺の僧、あまたいざなひて、行きて問へるに、もとの処につゆも変らず、掌(たなごころ)を合はせつつ、西に向ひて、眠(ねぶ)りたるがごとくにて居たり。舌の先より、青き蓮(はちす)の花なん一房(ふさ)、生ひ出でたりける。

おのおの、仏のごとく拝みて、この花を取りて、国の守(かみ)に取らせたりけるを、持(も)て上りて、宇治殿1)にぞ奉りける。

功積めることなけれども、一筋に頼み奉る心深ければ、往生すること、またかくのごとし。

翻刻

  讃州源大夫俄発心往生事
讃岐国ニ何レノ郡トカ源大夫トイフ者アリケリ。左様ノ
者ノナラヒト云ナガラ仏法ノ名ヲダニシラス。イキ物ヲ
コロシ人ヲホロホスヨリ外ノ事ナケレバ近モ遠モ。ヲヂヲ
ソレタル事限リナシ或時狩シテ帰ケル路ニ人ノ仏供
養スル家ノ前ヲスグトテ聴聞ノ者ノ集レルヲ見テ。ナ
ニワザヲスレバ人ハヲホカルゾト問フ郎等ノ云ク仏供養
ト云事シ侍ナリト云フ。イデヤ。ケウガリ未見ヌコトゾト
テ馬ヨリ下テ。カリシヤウソクノママナガラ中ヲ分入。ニハモ/n7r
セニココラヰタル人是ナサケナシトミルニ。ムネツブレテ。ヒラガ
リヲリ。ココラノ人ノカタヲコエテ導師ノ法トク。カタハラニ
近ク居テ。コトノ心ヲ問フ。僧ヲソロシナガラ説法ヲトドメ
テ阿弥陀ノ御チカヒタノモ敷事極楽ノタノシキ此世
ノ苦無常ノ有様ナンドヲ。コマヤカニ説キカス此男云ヤウ
イトイトイミシキ事ニコソ。サラバ我法師ニナリテ其仏ノ
ヲハシマサン方ヘ参ラント思ニ道ヲシラズ心ヲイタシテ
ヨビ奉ラント思ニ。イラヘ給ヒナンヤト云フ誠ニフカク心ヲ
オコシ給ハハ必イラヘ給フベシト答フ。サラハ我ヲ只今法
師ニナセト云フ。アレウノママニテ。トモカクモイヒヤラス其/n7l
時郎等ヨリキテ。ケフハ物サハガシク侍リ。カヘリ給テソノ
用意シテ出家シ給ハハ。ヨロシカラント云フニ。ハラダチテ
ヲノレカ斗ニテハ我思立タル事ヲバ。イカデサマタゲント
スルゾトテ眼ヲイカラカシテ太刀ヲ引マハセハ恐ヲノノ
キテ立ノキヌ。大方今日ノ願主ヨリ始テ。アリトアル
人色ヲウシナヘリ。近ク居ヨリ只今カシラソレ。ソラテハア
シカリナント。シキリニセムレハ遁ベキ方ナクテ。ワナナクワナナク
法師ニナシツ。衣ケサ乞テウチ著テ。是ヨリ西サマニ
ムキテ声ノ有限リ南無阿弥陀仏ト申テ行。是ヲ
聞人涙ヲナガシテ哀ム。カクシツツ日ヲ経テハルカニ行々/n8r
テスエニ山寺アリケリ。ソコナル僧アヤシミテ事ノ心
ヲ問フ。シカジカトアリノママニ云ヘバ貴トミ哀ム事カギリ
ナシ。サテモ物ホシクヲハスラントテ干飯ヲイササカ引ツ
ツミテトラセケレバ。ツユ物クハン心ナシ。タダ仏ノイラエ
給ハンマテハ山林海川ナリトモ命ノタエンヲ限リニテ
行ント思心ノミ深テ其外ニハ何事モヲボヘズトテ。ナヲ
西ヲサシテヨバヒ行。彼寺ニヒトリノ僧アリ跡ヲ尋ツツユ
キテ見レハ。遥ノ西ノ海キハニサシ出タル山ノハナル。イワノ
上ニ居タリ。語リテ云ココニテ阿弥陀仏ノイラヘ給ヘハ
待奉ルナリト云テ声ヲ挙テヨビ奉ル誠ニ海ノ西ニ。カ/n8l
スカニ御声キコヱケリ。キキ給ニヤ。今ハハヤ帰リ給ネサ
テ七日バカリ過テ又ヲハシテ我ナリタランスガタサマ
ヲ見給ヘト云ケレバ。ナクナク帰ニケリ其後云シガゴト
ク日比ヘテ。ソノ寺ノ僧アマタ。イザナヒテ。行テ問ヘルニ
モトノ処ニ露モカハラズ。タナ心ヲ合ツツ西ニムカヒテ
ネフリタルガ如クニテ居タリ舌ノサキヨリ青キハチス
ノ花ナン一フサヲヒ出タリケル。ヲノヲノ仏ノ如クヲガミテ
此花ヲトリテ国ノカミニトラセタリケルヲ。モテノボリ
テ宇治殿ニゾ奉ケル功ツメル事ナケレトモ一筋ニ憑
奉ル心フカケレハ往生スル事マタカクノゴトシ/n9r
1)
藤原頼通
text/hosshinju/h_hosshinju3-04.txt · 最終更新: 2017/05/02 21:27 by Satoshi Nakagawa
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