風土記
ふどき
成立
和銅6年(713)5月の風土記撰進の詔をうけて、日本各地で編纂された報告公文書群。もともとこれらの文書に名前はなく、『風土記』という名称は地誌を指す一般名詞にすぎない。平安時代初期に、中国で用いられていた名称をもとに、これらの文書を風土記と呼ぶようになったらしい。
奈良時代初期の朝廷が、中国の正史にならって、『日本書・地理誌』を作成するための資料として書かれたが、何らかの理由により『日本書・地理誌』は作られず、『日本書・紀(すなわち日本書紀)』のみで編纂されたものと考えられている。
完全に現存するものはないが、『出雲国風土記』がほぼ完本で残り、『播磨国風土記』、『常陸国風土記』、『肥前国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損して残る。その他の国の風土記も存在したが、現在では、逸文からその一部がうかがわれるのみである。ただし逸文とされるものの中にも、本当に奈良時代の風土記の記述であるか問う必要がある。
内容
風土記撰進の詔には、次の内容を記載せよと命じられている。
- 好字を用いて郡郷名を付けること
- 郡内の産物の品目
- 土地の肥沃の状態
- 地名の由来
- 古老の伝承
『続日本紀』巻6元明紀 和銅6年
五月甲子 畿内七道諸國郡郷名著好字其郡内所生銀銅彩色草木禽獸魚䖝等物具録色目及土地沃塉山川原野名号所由又古老相傳舊聞異事載于史籍言上
出雲国風土記
天平5年(733)成立。神宅臣金太理・出雲臣広島により編まれた。風土記は国司によって編纂されるが、出雲国の神宅臣金太理・出雲臣広島は国造であることが特徴。
行政区画の起源を記すことが多く、「山川原野名号」は例外的にしか記されていない。地名の命名者や土地の伝承は、すべて「神」によるものであり、天皇にまつわる伝承は全く見られない。
播磨国風土記
全風土記中、もっとも地名起源の記事が多く、取り上げた地名すべての起源を記すという方針があったと考えられる。その地名起源伝承に関与する者は、神、人が混在し、天皇・国司・農民から渡来人まで幅広い。
常陸国風土記
「常陸國司解、申古老相伝旧聞事」で始まるように、出雲・播磨と比較して地名起源記事がやや少なく、各地に伝えられた歴史・伝承の記事が多い。
肥前国風土記
豊後国風土記
電子テキスト
参考文献