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宇治拾遺物語

第25話(巻2・第7話)鼻長き僧の事

鼻長僧事

鼻長き僧の事

昔、池の尾に禅珍内供といふ僧住ける。真言なんどよく習て、年久く行いて貴 とかりければ、世の人々、さまざまの祈をせさせければ、身の徳ゆたかにて、 堂も僧坊も、すこしもあれたる所なし。仏供御燈などもたえず、おりふしの僧 膳、寺の講演しげく行はせければ、寺中の僧坊にひまなく僧もすみにぎはひけ り。湯屋にはゆわかさぬ日なく、あみののしりけり。又、そのあたりに小家ど もおほくいできて、里もにぎはひけり。

さて、この内供は鼻長かりけり。五六寸斗なりければ、おとがひよりさがりて ぞみえける。色は赤紫にて、大柑子のはだのやうにつぶだちて、ふくれたり。 かゆがる事かぎりなし。

提に湯をかへらかして、折敷を鼻さし入ばかりゑりとほして、火のほのをのか ほにあたらぬやうにしてその折敷の穴より鼻をおさしいでて、提の湯にさし入 れて、よくよくゆでて引あけたれば、色はこき紫色也。それをそばざまに臥て、 したに物をあてて、人にふますれば、つぶだちたる穴ごとに煙のやうなる物い づ。それをいたくふめば、白き虫の穴ごとにさし出るを、毛抜にてぬけば、四 分斗なるしろき虫を、穴ごとにとりいだす。その跡は、あなだにあきてみゆ。 それを又おなじ湯に入て、さらめかしわかす。みゆつれば、鼻ちいさくしぼみ あかりて、ただの人の鼻のやうになりぬ。

又二三日になれば、さきのごとくにはれて、大きに成ぬ。かくのごとくしつつ 腫たる日数はおほくありければ、物食ける時は弟子の法師に平なる板の一尺斗 なるが、広さ一寸ばかりなるを、鼻のしたにさし入て、むかひゐて、かみざま へもてあげさせて、物くひはつるまでありけり。こと人してもてあげさするお りは、あしくもてあげられば、腹をたてて物くはず。されば、此法師一人をさ だめて、物くふたびごとにもてあげさす。

それに心ちあしくて、この法師いでざりけるおりに、朝がゆくはんとするに、 鼻をもてあぐる人なかりければ「いかにせんなむ」といふ程に、つかひける童 の「我はよくもてあげまいらせてん。更に、その御房にはよもをおとらじ」と いふを、弟子の法師ききて、「この童のかく申」といへば、中大童子にて、み めもきたなげなくありければ、うへにめしあげてありけるに、この童鼻もてあ げの木を取て、うるはしくむかひゐて、よき程に高からず、ひきからず、もた げて粥をすすらすれば、此内供「いみじき上手にてありけり。例の法師にはま さりたり」とてかゆをすする程に、この童はなをひんとて、そばざまに向ては なをひる程に、手ふるひて、鼻もたげの木ゆるぎて、鼻はづれて粥の中へ、鼻 ふたりとうちいれつ。内供が顔にも童のかほにも粥とばしりて、ひと物かかり ぬ。

内供、大に腹立て頭かほにかかりたる粥を紙にてのごひつつ、「をのれはまが まがしかりける心もちたる物哉。心なしのかたひとはをのれがやうなる物をい ふぞかし。我ならぬ、やごつなき人の御鼻にもこそまいれ。それにかくやせん ずる。うたてなりける心なしのしれものかな。をのれ、たてたて」とて、追た てければ、たつままに「世の人のかかる鼻もちたるがおはしもさばこそははな もたげにもまいらめ。おこの事の給へる御房かな」といひければ、弟子どもは もののうしろに逃のきてぞわらひける。

text/yomeiuji/uji025.1422627964.txt.gz · 最終更新: 2015/01/30 23:26 by Satoshi Nakagawa