text:karakagami:m_karakagami6-21
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唐鏡 第六 魏蜀呉より余晋恭帝にいたる
21 余晋(東晋) 恭帝
校訂本文
次をは恭帝1)と申しき。諱は徳文。帝2)の母弟なり。安帝失せ給ひて位に即き給ふ。
劉裕3)、帝を零陵(れいりよう)王をして秣陵4)にすゑ奉る。宋の兵、墻(かき)を踰(こ)へて入りて、帝を内房に殺しつ。御年三十六、在位二年なり。
孝武帝5)、太元二十一年に崩じ給ひて、後魏6)の道武皇帝7)の禅を受けて位に即き給ひし後は余晋(よしん)といふ。恭帝の元熙二年に、宋の高祖8)禅を受けて位に即き給て後、余晋亡びぬ。
翻刻
次をは恭(クヰヨウ)帝と申き諱は徳文帝の母弟也安帝失給て位即給劉 裕帝を零陵(れいりよう)王をして〓陵にすえ奉る宋の兵墻を踰て入て帝を内房にころしつ 御年三十六在位二年也孝武帝太元廿一年に崩 給て後魏の道武皇帝の禅を受て位に即給し後は餘晋(よしん)と云恭帝元熙 二年に宋高祖禅を受て位に即給て後餘晋ほろひぬ/s169l・m301
text/karakagami/m_karakagami6-21.1690525576.txt.gz · 最終更新: 2023/07/28 15:26 by Satoshi Nakagawa