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第1話 昔王子猷山陰といふ所に住みけり・・・
校訂本文
昔、王子猷、山陰といふ所に住みけり。世の中のわたらひにほだされずして、ただ春の花・秋の月にのみ心を澄ましつつ、多くの年月を送りけり。
ことに触れて、情け深き人なりければ、月の光清くすさまじき夜、一人起きゐて、なぐさめがたくや思えけん、高瀬舟に竿差しつつ、心にまかせて戴安道を尋ね行くに、道のほど遥かにて、夜も明け、月も傾(かたぶ)きぬるを、本意(ほい)ならずや思ひけむ、かくとも言はで、門(かど)のもとより立ち帰りけるを、「いかに」と問ふ人ありければ、
もろともに月見んとこそ急ぎつれ必ず人に逢はむものかな
とばかり言ひて、つひに帰りぬ。心の数寄(すき)たるほどは、これ1)にて思ひ知るべし。
戴安道は剡県といふ所に住みけり。この人の年来(としごろ)の友なり。同じさまに心を澄ましたる人にてなん侍りける。
翻刻
むかし王子猷(イウ)山陰(サンイン)といふ所にすみけり世中 のわたらひにほたされすしてたた春花秋 の月にのみ心をすましつつおほくのとし月を をくりけりことにふれてなさけふかき人成けれ は月のひかりきよくすさましきよひとりお きゐてなくさめかたくやおほえけんたかせふね にさほさしつつ心にまかせて戴安道をたつね ゆくにみちの程はるかにて夜もあけ月もか たふきぬるをほいならすや思ひけむかくとも いはてかとのもとよりたちかへりけるをいかにととふ/m305
人ありけれは もろともにつきみんとこそいそきつれ かならす人にあはむものかな とはかりいひてつゐにかへりぬ心のすきたる程 はたれにておもひしるへし戴安道は剡県(センケン)と いふ所にすみけりこの人のとしころのとも也 おなしさまに心をすましたる人にてなん侍 ける/m306
1)
底本「たれ」。諸本により訂正
text/kara/m_kara001.1414954454.txt.gz · 最終更新: 2014/11/03 03:54 by Satoshi Nakagawa