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十訓抄 第四 人の上を誡むべき事
4の1 行基菩薩菅原寺の東南院にして終りをとり給ひける時・・・
校訂本文
行基菩薩、菅原寺の東南院にして、終りをとり給ひける時、弟子共に教へいましめていはく、「口の虎は身を破る。舌の剣(つるぎ)は命を断つ。口を鼻のごとくにすれば、のちあやまつことなし。虎は死して皮を残す。人は死して名を残す」。これを書き留(とど)めて、かの遺言と名づけて、今に伝ふ。
さて、その時読み給へる1)歌、
法(のり)の月久しくもがなと思へども小夜(さよ)更けぬらし光隠しつ
かくて、身心安楽にて、終り給ひにけり。
朝野僉載にいはく、
人死留名 虎死留皮
またいはく、
口是禍門也 舌是禍根也
養生経にいはく、
使口如鼻 終身勿事
などいはる文を思はへて、かやうにのたまへるにや。
また、孝子伝には、
多言害身多事害神
とも見たれば、よくよくつつしみ戒(いまし)むべし。
また、人の寄り合ひて、うちささやきなむどせむ所へは、始めより交り居ざらむほかは、寄るべからず。おのづから悪しく行き合ひたりとも、さらぬやうにて立ち退くべし。
これ文の教へなり。
翻刻
行基菩薩菅原寺の東南院にして終をとり給 ける時、弟子共に教へいましめて云く、口の虎は身を 破ふる、舌のつるきは命をたつ、口を鼻の如くにすれは、後 あやまつ事なし、虎は死て皮をのこす、人は死て名を 残す、是を書ととめて、彼遺言と名て、今につたふ、さ て其時読へる哥 のりの月ひさしくもかなと思へとも、さよふけぬらしひかりかくしつ/k140
かくて身心安楽にて終り給にけり、朝野僉載云、 人死留名、虎死留皮、又云、口是禍門也、舌是禍根也、 養生経に云、使口如鼻、終身勿事なと云る文を思はへ て、かやうにの給へるにや、又孝子伝には、多言害身多 事害神とも見たれは、よくよくつつしみ誡むへし、又人の寄 合てうちささやきなむとせむ所へは、始より交り居さら む外は、よるへからす、おのつからあしく行合たりとも、さ らぬやうにて立のくへし、此文の教也、/k141
1)
底本「給」なし。諸本により補う。
text/jikkinsho/s_jikkinsho04-01.1445924161.txt.gz · 最終更新: 2015/10/27 14:36 by Satoshi Nakagawa