しょうてつ(1381〜1459)
室町時代の歌人、僧侶。
永徳(弘和)元年(1381)生まれ、長禄3年(1459)5月9日、79歳で没。
父は備中国小山田荘神戸山城主小松康清。幼名を尊明(尊命丸とも)、長じて正清といった。
法名を正徹、字を清巌、庵号を招月庵(松月庵)、東福寺の書記を務めたことから、徹書記とも呼ばれた。
冷泉為尹・今川了俊に師事し、了俊からは歌書や『言塵集』の相伝を受けた。
また、兼好法師を高く評価し、『徒然草』最古の写本である正徹自筆本(静嘉堂文庫蔵)の筆写者でもある。
藤原定家を崇拝したため、藤原為家以降を模範とした二条派からは異端とされ、難解な歌風は跡を継ぐ者がいなかったが、中世和歌に清新な息吹を吹き込んだ歌人として、高く評価されている。