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打聞集
第5話 三井寺の事
校訂本文
昔1)、智証大師2)、唐より帰り給ひて、わが門徒・仏法持つべき所、求め往(ゆ)き給ふに、近江国に、志賀の郡(こほり)に、大友の王子3)の立て給へる寺あり。そこにおはして、この寺の底(てい)を見給ふに、いと貴(たうと)し。
石管(いしづつ)したる井あり。住僧、告げていはく、「井は一つなれども、名は三井となむ申す。そのゆゑは4)、三代の王の生まれ給へる産湯(うぶゆ)汲みたれば、三井と申すなり。」今、堂には、瓦葺きの二蓋に造りたり。内は丈六の弥勒なむおはします。僧坊を見れば、人も無し。
あばれたる方に、年百余歳ばかりなる老法師、独り居り。くはしく見れば、鯉(ふな)の鱗(いろこ)・骨を喰ひ散らしたり。嗅(くさ)きことかぎりなし。「こは、いかなる僧ぞ」と人に問へば、鯉を役(やく)と煎り食ふことより、ほかにすることなし。僧体(そうてい)、かうは聞けども、貴う見れば、呼び出でて語らふ。
老僧のいはく、「この寺は、弥勒の世まであるべき寺なり。大師より外に持ち給ふべき人なし。この寺、立て給へる歳(とし)、まかり老いて、心すごう思ひ給ひつるに、かう伝へ奉るは嬉しきことなり」とて、さて房に帰りぬ。
また、しばらくあれば、唐車に乗りたる人の、やんごとなき来たり。「『この寺の仏法、守(まぼ)らう』と誓たるなり。今よりは、大師を憑(たの)まむ」と契りて帰りぬ。誰(たれ)とも知らず、いぶかしければ、御供の人に、「これは誰かおはしますぞ」と問へば、御尾の明神のおはしますなり」と言ふ。「さればこそ、ただはおはせぬ人とは見れ。この老僧も、なほゆゑあらむ者ならむ。くはしく見む」とて、房に入りたれば、始めは生臭(なまぐさ)かりつるが、今度、いみじく香ばし。「さればこそ」と思ひて、入りて見れば、鯉の骨・鱗と見るは、蓮花のしぼみたる、あざやかなるを、鍋に入れて、煮喰ひ散らしたり。驚いて、近隣なる下法師のあるに問へば、「この老僧をば、教待和尚5)となむ申しつる。人の夢にぞ、弥勒にて見え給ひける」。
まことに、かくやんごとなき人の住み給ひけるけにやあるらん、今にその仏法唱(さか)りなり。
翻刻
□智証大師唐より帰給て我門徒仏法持へき所求め往給に近江国に 志賀の郡(こほり)に大友の王子の立給る寺有そこにおはして此寺の底(てい)を見給にいと貴(たうと)し 石管(つつ)したる井有り住僧告(つけて)云井は一なれとも名は三井となむ申す其(その)□は三代 之王の生(うまれ)給るうふ湯くみたれは三井と申なり今堂には瓦ふきの二蓋に造たり 内は丈六の弥勒(みろく)なむ御坐僧坊を見れは人も无しあはれたる方に年百余歳許なる 老法師独居り委く見は鯉(ふな)のいろこ骨を喰ちらしたり嗅(くさき)事限无しこはいかなる僧 そと人に問は鯉をやくといりくふ事より外にする事无し僧体(てい)かうは聞(き□)とも貴う 見れはよひいててかたらふ老僧の云此寺は弥勒の世まてあるへき寺也大師より外に 持給へき人无此寺立給る歳(とし)罷老て心すこう思給つるにかう伝奉つるはうれしき 事也とてさて房に帰ぬ又蹔有は唐車に乗たる人の止无き来り此寺の 仏法守(まほらう)と誓たるなり今よりは大師を憑(たのまむ)と契(ちき)て帰ぬたれとも不知不審けれは御共の 人に此はたれか御はしますそとと問は御(み)尾(をの)明神の御坐也と云されはこそ只はをはせぬ人とは 見れ此老僧も猶故(ゆへ)有む物ならむ委見とて房に入たれは始はなまくさかりつるか今度 いみしく香はしされはこそと思て入て見は鯉骨鱗と見は蓮花のしほみたるあさやか なるを鍋(なへに)入て煮喰散たり驚(をとろい)て近隣なる下法師の有に問は此老僧をは/d15
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1192812/15
教待(たい)尚(しやう)和となむ申つる人の夢にそ弥勒にて見給ける実(まこと)にかく止无人の住(すみ)給ける けにや有覧于今其仏法唱(さかり)也/d16