text:senjusho:m_senjusho05-03
撰集抄
巻5第3話(36) 内記入道事
校訂本文
中ごろ、内記入道保胤1)といふ人いまそかりける。朝(てう)に仕へしそのかみ、心に慈悲深く、生きとし生けるたぐひをば、あはれみ給へるわざ、父母の一子を思へるに過ぎたり。
ある時、種々の食物をいとなみて、つねに飼はれける犬にたびけるほどに、隣2)より、異犬(こといぬ)の来てまもりければ、また同じやうにしてたびけるに、この犬どもの、一粒(つび)3)の飯を論じて、いがみけるを見給ひて、これを悲しみ給ひて、あらいしに、4)、御覧じて、「ただ人にてはおはせず」とぞ、のたまはせける。この心ばせのおはしましければ、つひに出家して、往生の素懐をとげ給へりけるなり。
ことに貴き心かな。何とてか、そぞろに無縁の大悲のおはしけるやらむ。いかさま、物のいとほしく、あはれなるは、世間の妻子をあはれむなる心には、大きに異なるなり。内記入道の、よろづの物をあはれむは、諸仏菩薩のごとく、堅固の大悲の深ければ、心の底も澄みわたりて、少しもたがはず、菩薩の心なるべし。
世間の妻子をあはれむは、貪愛なれば、おほきに迷はされて、永く三途の苦果をきざすなるべし。あはれ、心憂きことかな。同じ物をあはれみながら、貪着することを。法はもと違順なし。何を別(わか)ちてか「憎し」と見、何を取りてか「いとほし」と思はむ。いとほし、憎しと思はれむもの、本来無ければ、思ふ心も侍らじ。「はやく、愛着の思ひを捨てばや」とし侍れど、ゆがみし心、ためがたく、「大悲をおこさばや」と思ひ侍れど、心のむら雲消えやらで、胸の月あらはれずしてやみなんにや。
一挙万里して、山深くたづね入りて、心を澄まさむよりも、大悲の深からんは、まさりてぞ思ゆる。
翻刻
中比内記入道保胤と云人いまそかりける朝に 仕しそのかみ心に慈悲深くいきとしいける 類をは哀給へるわさ父母の一子を思へるに過たり 或時種々の食物をいとなみて常にかはれける 犬に給ける程に憐より異犬のきてまもりけれ/k119r
は又同やうにして給けるに此犬共の一つひ(ふイ)の 飯を論していかみけるを見給てこれをかなしみ 給てあらいしに(いとしとイ)御腹の悪くおはしける其御 心はやはや改め給いねとてさめさめとなき給けるを慈 恵大師御覧して唯人にてはおはせすとその 給はせける此心はせのおはしましけれは終に出家 して往生の素懐をとけ給へりける也殊貴心 かな何とてかそそろに無縁の大悲のおはしける やらむ何さま物のいとをしく哀なるは世間の妻 子を憐なる心には大に異なるなり内記入道の万/k119l
の物を哀むは如諸仏菩薩堅固の大悲の深けれ は心の底もすみ渡て少たかはす菩薩の心 成へし世間の妻子を哀むは貪愛なれは大 に迷されて永く三途の苦果をきさすなるへし 哀心うき事哉同物をあはれみなから貪着する 事を法は本無違順何を別てかにくしとみ何を 取てかいとをしと思はむいとをしにくしとおもは れむもの本来なけれは思ふ心も侍らしはやく 愛着の思ひをすてはやとし侍れとゆかみし心 ためかたく大悲をおこさはやと思侍れと心の/k120r
むら雲きえやらて胸の月あらはれすしてやみなん にや一挙万里して山深尋入て心をすまさむ よりも大悲の深からんはまさりてそ覚る/k120l
text/senjusho/m_senjusho05-03.txt · 最終更新: 2016/06/15 21:57 by Satoshi Nakagawa