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text:sesuisho:n_sesuisho5-043m [2022/10/23 16:14] – 作成 Satoshi Nakagawatext:sesuisho:n_sesuisho5-043m [2022/10/23 16:14] – [校訂本文] Satoshi Nakagawa
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 俗云はく、「衆生の欲に随ひ、種々説法するなれば、一隅には限るべからず。昔日聞く、分別功徳論に云はく『祇園に比丘有り。病して六年を経たり。優婆梨(うばり)((優婆離))往きて須ゆる所を問ふ。答ふ、『唯酒を思ふ』と。優婆梨曰はく、『我の仏に問ふを待て』と。遂に園に至り仏に問ふ。『比丘有り。病みて酒を薬と為(なさ)んと思ふ。不審、可ならんや、否や』と。仏言く『我が制法する所は病苦の者を除く』と。優婆梨、復た往き、酒を索(もと)めて飲((「飲」は底本「歓」。諸本により訂正。))ましむ。病尋(つ)いで平復して重ねて為に法を説き羅漢果を得たり。仏、優婆梨を讃して、『汝この事を問ふに、すなはち比丘を病瘥し、また使道を得る』と云々」。大聖釈迦、酒を以て薬と為すを得せしめ、飲者には剰(あまつさ)へ羅漢果を得せしめ、優婆梨をして道を得たらしむ。これを以て思へ、酒の功の甚しきこと、焉より大なるは莫(な)し。静に理を案ずるに、賤貧の漁父の行状((底本「アリサマ」と読み仮名。))、家々網を晒し船を牽く、破笠鶉衣(はりつじゆんい)、矮屋茅店(わいおくばうてん)も、酒を行(の)み、酔を既(つく)す事を願ふも、 道に麹車に逢ひ口に涎を流し、明朝の雨天を恐るる者も、忽ち蓑衣を解く。当に深切なるを思ふべし。淵明((陶淵明))が図に、謝幼槃((謝薖))は『田家酒熟夜扣門、頭上自有漉酒巾。老農時問桑麻長、提壺提搕来相親。一樽径酔北窓臥、蕭然自謂羲義皇人((「人」は底本「上+人」))。(田家酒熟して夜門を扣き、頭上に自ら漉酒巾有り。老農時に問ふ桑麻の長ずることを。壺を提げ搕をを提げ来りて相親しむ。一樽径(ただちに)酔ひて北窓に臥す。蕭然として自ら羲義皇の人と謂ふ。)』と。件の晋の陶酔漢((陶淵明))は、生涯米穀一石を瓶に入れ置き、以て四時の楽と為す。また無弦之琴を弾じて憂を消す。これを呼びて第一の達磨と為す」。 俗云はく、「衆生の欲に随ひ、種々説法するなれば、一隅には限るべからず。昔日聞く、分別功徳論に云はく『祇園に比丘有り。病して六年を経たり。優婆梨(うばり)((優婆離))往きて須ゆる所を問ふ。答ふ、『唯酒を思ふ』と。優婆梨曰はく、『我の仏に問ふを待て』と。遂に園に至り仏に問ふ。『比丘有り。病みて酒を薬と為(なさ)んと思ふ。不審、可ならんや、否や』と。仏言く『我が制法する所は病苦の者を除く』と。優婆梨、復た往き、酒を索(もと)めて飲((「飲」は底本「歓」。諸本により訂正。))ましむ。病尋(つ)いで平復して重ねて為に法を説き羅漢果を得たり。仏、優婆梨を讃して、『汝この事を問ふに、すなはち比丘を病瘥し、また使道を得る』と云々」。大聖釈迦、酒を以て薬と為すを得せしめ、飲者には剰(あまつさ)へ羅漢果を得せしめ、優婆梨をして道を得たらしむ。これを以て思へ、酒の功の甚しきこと、焉より大なるは莫(な)し。静に理を案ずるに、賤貧の漁父の行状((底本「アリサマ」と読み仮名。))、家々網を晒し船を牽く、破笠鶉衣(はりつじゆんい)、矮屋茅店(わいおくばうてん)も、酒を行(の)み、酔を既(つく)す事を願ふも、 道に麹車に逢ひ口に涎を流し、明朝の雨天を恐るる者も、忽ち蓑衣を解く。当に深切なるを思ふべし。淵明((陶淵明))が図に、謝幼槃((謝薖))は『田家酒熟夜扣門、頭上自有漉酒巾。老農時問桑麻長、提壺提搕来相親。一樽径酔北窓臥、蕭然自謂羲義皇人((「人」は底本「上+人」))。(田家酒熟して夜門を扣き、頭上に自ら漉酒巾有り。老農時に問ふ桑麻の長ずることを。壺を提げ搕をを提げ来りて相親しむ。一樽径(ただちに)酔ひて北窓に臥す。蕭然として自ら羲義皇の人と謂ふ。)』と。件の晋の陶酔漢((陶淵明))は、生涯米穀一石を瓶に入れ置き、以て四時の楽と為す。また無弦之琴を弾じて憂を消す。これを呼びて第一の達磨と為す」。
  
-僧云はく、「梵網の古迹に、酒に耽り放逸なれば、後必ず悔有らん。自らの正念を失ひ、本心を違ふ故に、まさに作すべからざるを作し、まさに言ふべからざるを言ふ。悪として造(いた)らざるは無しと云々。己れが利根に迷ひ、聖賢の義を背かば、石を懐て渕に入るにいづれぞ。+僧云はく、「梵網の古迹に、酒に耽り放逸なれば、後必ず悔有らん。自らの正念を失ひ、本心を違ふ故に、まさに作すべからざるを作し、まさに言ふべからざるを言ふ。悪として造(いた)らざるは無しと云々。己れが利根に迷ひ、聖賢の義を背かば、石を懐て渕に入るにいづれぞ
  
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text/sesuisho/n_sesuisho5-043m.txt · 最終更新: 2022/11/25 21:56 by Satoshi Nakagawa