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text:yomeiuji:uji057 [2018/02/25 14:55] Satoshi Nakagawatext:yomeiuji:uji057 [2018/02/25 14:56] – [第57話(巻4・第5話)石橋の下の蛇の事] Satoshi Nakagawa
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 **石橋の下の蛇の事** **石橋の下の蛇の事**
  
-この近くのことなるべし。女ありけり。雲林院の菩提講に、大宮を上りに参りけるほどに、西院のへん近くなりて、石橋ありけり。+この近くのことなるべし。女ありけり。雲林院(うりんゐん)の菩提講に、大宮を上りに参りけるほどに、西院のへん近くなりて、石橋ありけり。
  
 水のほとりを二十あまり、三十ばかりの女房、中結ひて歩み行くが、石橋を踏み返して過ぎぬるあとに、踏み返されたる橋の下に、まだらなる小蛇(こくちなは)の、きりきりとして居たれば、「石のしたにくちなはのありける」とみるほどに、この踏み返したる女の尻に立ちて、ゆらゆらとこの蛇の行けば、尻なる女の見るに怪しくて、「いかに思ひて、行くにかあらん。踏み出だされたるを『悪し』と思ひて、『それが報答せん』と思ふにや。これがせんやう見む」とて尻に立ちて行くに、この女、時々は見返りなどすれども、わがともに蛇のあるとも知らぬげなり。 水のほとりを二十あまり、三十ばかりの女房、中結ひて歩み行くが、石橋を踏み返して過ぎぬるあとに、踏み返されたる橋の下に、まだらなる小蛇(こくちなは)の、きりきりとして居たれば、「石のしたにくちなはのありける」とみるほどに、この踏み返したる女の尻に立ちて、ゆらゆらとこの蛇の行けば、尻なる女の見るに怪しくて、「いかに思ひて、行くにかあらん。踏み出だされたるを『悪し』と思ひて、『それが報答せん』と思ふにや。これがせんやう見む」とて尻に立ちて行くに、この女、時々は見返りなどすれども、わがともに蛇のあるとも知らぬげなり。
  
-また、同じやうに行く人あれども、蛇の女に具して行くを、見付け言ふ人もなし。ただ、最初見付けつる女の目にのみ見えければ、「これがしなさんやう見ん」と思ひて、この女の尻を離れず歩み行くほどに、雲林院((うりんゐん))に、参り着きぬ。+また、同じやうに行く人あれども、蛇の女に具して行くを、見付け言ふ人もなし。ただ、最初見付けつる女の目にのみ見えければ、「これがしなさんやう見ん」と思ひて、この女の尻を離れず歩み行くほどに、雲林院に、参り着きぬ。
  
 寺の板敷に上りて、この女、居ぬれば、この蛇も上りて、傍らにわだかまり伏したれど、これを見付け騒ぐ人なし。「希有のわざかな」と、目を放たず見るほどに、講果てぬれば、女、立ち出づるに従ひて、蛇も続きて出でぬ。 寺の板敷に上りて、この女、居ぬれば、この蛇も上りて、傍らにわだかまり伏したれど、これを見付け騒ぐ人なし。「希有のわざかな」と、目を放たず見るほどに、講果てぬれば、女、立ち出づるに従ひて、蛇も続きて出でぬ。
text/yomeiuji/uji057.txt · 最終更新: 2018/03/08 21:25 by Satoshi Nakagawa