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宇治拾遺物語

第57話(巻4・第5話)石橋の下の蛇の事

石橋下蛇事

石橋の下の蛇の事

この近くのことなるべし。女ありけり。雲林院(うりんゐん)の菩提講に、大宮を上りに参りけるほどに、西院のへん近くなりて、石橋ありけり。

水のほとりを二十あまり、三十ばかりの女房、中結ひて歩み行くが、石橋を踏み返して過ぎぬるあとに、踏み返されたる橋の下に、まだらなる小蛇(こくちなは)の、きりきりとして居たれば、「石のしたにくちなはのありける」とみるほどに、この踏み返したる女の尻に立ちて、ゆらゆらとこの蛇の行けば、尻なる女の見るに怪しくて、「いかに思ひて、行くにかあらん。踏み出だされたるを『悪し』と思ひて、『それが報答せん』と思ふにや。これがせんやう見む」とて尻に立ちて行くに、この女、時々は見返りなどすれども、わがともに蛇のあるとも知らぬげなり。

また、同じやうに行く人あれども、蛇の女に具して行くを、見付け言ふ人もなし。ただ、最初見付けつる女の目にのみ見えければ、「これがしなさんやう見ん」と思ひて、この女の尻を離れず歩み行くほどに、雲林院に、参り着きぬ。

寺の板敷に上りて、この女、居ぬれば、この蛇も上りて、傍らにわだかまり伏したれど、これを見付け騒ぐ人なし。「希有のわざかな」と、目を放たず見るほどに、講果てぬれば、女、立ち出づるに従ひて、蛇も続きて出でぬ。

この女、「これがしなさんやう見ん」とて、尻に立ちて、京ざまに出でぬ。下ざまに行き止まりて家あり。その家に入れば、蛇も具して入りぬ。

「これぞ、これが家なりける」と思ふに、「昼は、するかたなきなめり。夜こそ、とかくすることもあらんずらめ。これが夜のありさまを見ばや」と思ふに、見るべきやうもなければ、その家に歩み寄りて、「田舎より上る人の、行き泊るべき所も候はぬを、こよひばかり宿させ給ひなんや」と言へば、この蛇の憑きたる女を、家主(いへあるじ)と思ふに、「ここに宿り給ふ人あり」と言へば、老ひたる女、出で来て、「誰(たれ)か、のたまふぞ」と言へば、「これぞ家主なりける」と思ひて、「今宵ばかり、宿借り申すなり」と言ふ。「よく侍りなん。入りておはせ」と言ふ。「嬉し」と思ひて、入りて見れば、板敷のあるに上りて、この女の居たり。蛇は板敷の下(しも)に、柱のもとにわだかまりてあり。目をつけて見れば、この女をまもり上げて、この蛇は居たり。蛇憑きたる女、「殿にあるやうは」など、物語しゐたり。「宮仕へする者なり」と見る。

かかるほどに、日ただ暮れに暮て、暗くなりぬれば、蛇のありさまを見るべきやうもなくて、この家主と思ゆる女に言ふやう、「かく宿させ給へるかはりに、緒やある。績(う)みて奉らん。火ともし給へ」と言へば、「うれしくのたまひたり」とて、火ともしつ。緒取り出だして、預けたれば、それを績みつつ見れば、この女、臥しぬめり。「いまや、寄らんずらん」と見れども、近くは寄らず。「このこと、やがても告げばや」と思へども、「告げたらば、わがためにも悪しくやあらん」と思ひて、物も言はで、「しなさんやう見ん」とて、夜中の過ぐるまで、まもり居たれども、つひに見ゆるかたもなきほどに、火消えぬれば、この女も寝ぬ。

明けて後、「いかがあらん」と思ひて、まどひ起きて見れば、この女、よきほどに寝起きて、ともかくもなげにて、家主と思ゆる女に言ふやう、「今宵、夢をこそ見つれ」と言へば、「いかに見給へばぞ」と問へば、「『この寝たる枕上に、人の居る』と思ひて、見れば、こしより上(かみ)は人にて、下は蛇なる女の清げなるが居て、言ふやう、『おのれは、人を、『恨めし』と思ひしほどに、かく蛇の身を受けて、石橋の下に多くの年を過ぐして、『わびし』と思ひ居たるほどに、昨日、おのれが重しの石を踏み返し給ひしに助けられて、石のその苦をまぬがれて、『嬉し』と思ひ給へしかば、『この人のおはしつらん所を、見置き奉りて、悦びも申さむ』と思ひて、御供に参りしほどに、菩提講の庭に参り給ひければ、その御供に参りたるによりて、会ひがたき法を承はりたるによりて、多く罪をさへ滅ぼして、その力にて、人に生まれ侍るべき功徳の近くなり侍れば、いよいよ悦びをいただきて、かくて参りたるなり。この報ひには、物よくあらせ奉りて、良き男など、逢はせ奉るべきなり』と言ふとなん見つる」と語るに、あさましくなりて、この宿りたる女の言ふやう、「まことは、おのれは田舎より上りたるにも侍らず。そこそこに侍るものなり。それが昨日、菩提講に参り侍りし道に、そのほどに行き合ひ給ひたりしかば、尻に立て、歩み参りしに、大宮のそのほどに、川の石橋を踏み返されたりし下より、まだらなりし小蛇(こくちなは)の出で来て、御供に参りしを、『かくと告げ申さむ』と思ひしかども、告げ奉りては、『わがためも悪事にてもやあらむずらん』と恐しくて、え申さざりしなり。まことに、講の庭にもその蛇侍りしかども、人もえ見付けざりしなり。果てて出で給ひし折、また具し奉りたりしかば、なり果てんやうゆかしくて、思ひもかけず、今宵、ここにて夜を明かし侍りつるなり。この夜中過ぐるまでは、この蛇、柱のもとに侍りつるが、明けて見侍りつれば、蛇も見え侍らざりしなり。それにあはせて、かかる夢語りをし給へば、あさましく、恐しくて、かくあらはし申すなり。今よりは、これをついでにて、何事も申さん」など、言ひ語らひて、後は常に行き通ひつつ、知る人になんなりにけり。

さてこの女、よにもの良くなりて、このごろは、何とは知らず、大殿の下家司のいみじく徳あるが妻になりて、よろづ事かなひてぞありける。尋ねばかくれあらじかしとぞ。

翻刻

此ちかくの事なるへし女ありけり雲林院の菩提講に大宮を
のほりにまいりける程に西院のへんちかく成て石橋ありけり
水のほとりを廿あまり卅はかりの女房中ゆひてあゆみゆくか
石はしをふみかえして過ぬるあとにふみかへされたる橋のしたに
またらなるこくちなはのきりきりとしてゐたれは石のしたにくち
なはのありけるとみるほとに此ふみ返したる女のしりに立てゆらゆら
とこのくちなはのゆけはしりなる女のみるにあやしくていかに思て
行にかあらんふみいたされたるをあしと思てそれか報答せんと
思ふにやこれかせんやうみむとてしりにたちて行に此女時々は
見かへりなとすれとも我ともにくちなはのあるともしらぬけなり又
おなしやうに行人あれともくちなはの女にくして行くをみつけいふ
人もなしたた最初みつけつる女の目にのみみえけれはこれか/64ウy132
しなさんやうみんと思てこの女の尻をはなれすあゆみ行程に
うりん院にまいりつきぬ寺のいた敷にのほりて此女居ぬれ
は此蛇ものほりてかたはらにわたかまりふしたれとこれを見つけ
さはく人なし希有のわさかなと目をはなたすみる程にかう
はてぬれは女たちいつるにしたかひてくちなはもつつきて出ぬ
此女これかしなさんやうみんとて尻にたちて京さまにいてぬ下
さまに行とまりて家ありその家にいれはくちなはもくして入ぬ
これそこれか家なりけるとおもふにひるはするかたなきなめり
よるこそとかくする事もあらんすらめこれかよるのありさまを
見はやとおもふにみるへきやうもなけれはその家にあゆみよりて
ゐ中よりのほる人のゆきとまるへき所も候はぬをこよひ斗
やとさせ給なんやといへはこのくちなはのつきたる女を家あるしと
おもふにここにやとり給人ありといへは老たる女いてきてたれか/65オy133
の給そといへはこれそ家あるしなりけると思てこよひ斗やとかり
申なりといふよく侍なん入ておはせといふうれしと思て入てみれは
板敷のあるにのほりて此女のゐたりくちなはは板敷のしもに柱の
もとにわたかまりてありめをつけてみれは此女をまもりあけて此
くちなははゐたり蛇つきたる女殿にあるやうはなと物かたりしゐたり
宮仕する物也とみるかかるほとに日たたくれに暮てくらく成ぬ
れはくちなはのありさまをみるへきやうもなくて此家主とおほ
ゆる女にいふやうかくやとさせ給へるかはりに緒やあるうみてたて
まつらん火ともし給へといへはうれしくの給たりとて火ともし
つお取出してあつけたれはそれをうみつつみれは此女ふしぬ
めりいまやよらんすらんとみれともちかくはよらすこの事やかても
つけはやと思へともつけたらは我ためにもあしくやあらんと思て物
もいはてしなさんやうみんとて夜中の過るまてまもりゐたれ共/65ウy134
つゐにみゆるかたもなき程に火消ぬれは此女もねぬ明て後
いかかあらんと思てまとひおきてみれは此女よき程にねおきて
ともかくもなけにて家あるしとおほゆる女にいふやうこよひ夢
をこそみつれといへはいかに見給へはそととへはこのねたる枕上に
人のゐると思てみれはこしよりかみは人にてしもはくちなはなる女
のきよけなるかゐていふやうをのれは人をうらめしと思ひし程に
かくくちなはの身をうけて石橋の下におほくのとしをすくして
わひしとおもひゐたる程に昨日をのれかをもしの石をふみ返し
給しにたすけられて石のその苦をまぬかれてうれしと思ひ
給しかはこの人のおはしつらん所をみをきたてまつりてよろこひ
も申さむと思て御供にまいりしほとに菩提講の庭にまいり
給けれはその御供にまいりたるによりてあひかたき法をうけ給
たるによりておほく罪をさへほろほしてその力にて人に/66オy135
むまれ侍へき功徳のちかくなり侍れはいよいよ悦をいたたきて
かくてまいりたる也このむくひには物よくあらせたてまつりてよき
おとこなとあはせたてまつるへきなりといふとなんみつるとかたるに
あさましくなりて此やとりたる女のいふやうまことはをのれはゐ中
よりのほりたるにも侍らすそこそこに侍るもの也それか昨日菩提講
に参り侍し道にその程に行あひ給たりしかはしりに立てあゆみま
いりしに大宮のその程に川の石橋をふみ返されたりし下より
またらなりしこくちなはのいてきて御供に参しをかくとつけ
申さむと思しかともつけたてまつりては我ためも悪事にてもや
あらむすらんとおそろしくてえ申ささりし也誠に講の庭
にもそのくちなは侍しかとも人もえみつけさりし也はてて
出給しおり又くしたてまつりたりしかは成はてんやうゆかしくて
思もかけすこよひここにて夜を明し侍りつる也この夜中過る/66ウy136
まては此蛇柱のもとに侍つるか明てみ侍つれはくちなはもみえ
侍らさりし也それにあはせてかかる夢かたりをし給へはあさま
しくおそろしくてかくあらはし申なり今よりはこれをつい
てにてなに事も申さんなといひかたらひて後はつねに
行かよひつつしる人になん成にけりさてこの女よに物よく
成てこの比はなにとはしらす大殿の下家司のいみしく徳
あるか妻に成てよろつ事叶てそ有ける尋はかくれあらしかしとそ/67オy137
text/yomeiuji/uji057.1519538192.txt.gz · 最終更新: 2018/02/25 14:56 by Satoshi Nakagawa