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text:shaseki:ko_shaseki09b-09 [2019/04/17 21:49] – 作成 Satoshi Nakagawatext:shaseki:ko_shaseki09b-09 [2019/04/17 21:50] – [校訂本文] Satoshi Nakagawa
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 ゆゑに、法性寺の禅定殿下の御時、御内の女房に霊つきて、さまざまのこと申しけるに、「中古の智者の聞こえありし諸宗の名人、多く魔道にあり。明慧房((明恵))・解脱房((貞慶))ぞ、いづちへ行きたるやらん、見えぬ」と言ひける。真実の智者・道心者と聞こえしかば、さも侍らん。 ゆゑに、法性寺の禅定殿下の御時、御内の女房に霊つきて、さまざまのこと申しけるに、「中古の智者の聞こえありし諸宗の名人、多く魔道にあり。明慧房((明恵))・解脱房((貞慶))ぞ、いづちへ行きたるやらん、見えぬ」と言ひける。真実の智者・道心者と聞こえしかば、さも侍らん。
  
-大唐の国清寺は、天台大師((智顗))の旧跡なり。唐の代に、豊干禅師の行者拾得(じつとく)、常に寒山子とともなひ、狂せるに似たる人なり。まことには普賢・文殊の化身なりける。寺の僧、布薩(さつ)説戒しけるを見て、「幽々たるかな。頭を集めて何事をかなす」と言ひて、牛を駆りて、堂の外にて笑ひけるを、老僧怒りて、「風狂子、わが説戒を破す」と言ひける返事に、「無瞋即是戒。心浄即出家。我性与汝合。一切法如是。(嗔ることなき即ちこれ戒。心浄き即ちこれ出家。我性汝と合す。一切の法かくのごとし。)」と言ひて、牛を駆りて、昔の僧の名を呼ぶに、牛、いらへ吠えて過ぎけり。「前生に戒を持(たも)たざれば、人面にして畜の心なり。仏恩大なりといへども、かくのごとき物をは、いかにとすることなし」と言ひて、泣く泣く牛を飼ひけり。+大唐の国清寺は、天台大師((智顗))の旧跡なり。唐の代に、豊干禅師の行者拾得(じつとく)、常に寒山子とともなひ、狂せるに似たる人なり。まことには普賢・文殊の化身なりける。寺の僧、布薩(さつ)説戒しけるを見て、「幽々たるかな。頭を集めて何事をかなす」と言ひて、牛を駆りて、堂の外にて笑ひけるを、老僧怒りて、「風狂子、わが説戒を破す」と言ひける返事に、「無瞋即是戒。心浄即出家。我性与汝合。一切法如是。(嗔ることなき即ちこれ戒。心浄き即ちこれ出家。我性汝と合す。一切の法かくのごとし。)」と言ひて、牛を駆りて、昔の僧の名を呼ぶに、牛、いらへ吠えて過ぎけり。「前生に戒を持(たも)たざれば、人面にして畜の心なり。仏恩大なりといへども、かくのごとき物をは、いかにとすることなし」と言ひて、泣く泣く牛を飼ひけり。
  
 およそ、一念の心中に十果の性あり。地獄・餓鬼・畜生・修羅・人天・声聞・縁覚・菩薩・仏界なり。性といふは、色・形見えねども、その体性天然として改まらずして、内にあるをいふなり。花の中に菓たるべき性あり、木の中に燃ゆべき火の性あるがごとし。縁に会ひ時にいたて現はるるを相といふなり。縁なければ現はれず。その縁といふは、善悪の業なり。十悪の上中下は、地獄・鬼畜の縁となり、三悪道の相現はる。十善の下中上は、修羅・人天の縁となり、三善道の相現はれ、四諦十二因縁は、二乗の縁となり、六度無相の行は、菩薩仏界の縁となる。 およそ、一念の心中に十果の性あり。地獄・餓鬼・畜生・修羅・人天・声聞・縁覚・菩薩・仏界なり。性といふは、色・形見えねども、その体性天然として改まらずして、内にあるをいふなり。花の中に菓たるべき性あり、木の中に燃ゆべき火の性あるがごとし。縁に会ひ時にいたて現はるるを相といふなり。縁なければ現はれず。その縁といふは、善悪の業なり。十悪の上中下は、地獄・鬼畜の縁となり、三悪道の相現はる。十善の下中上は、修羅・人天の縁となり、三善道の相現はれ、四諦十二因縁は、二乗の縁となり、六度無相の行は、菩薩仏界の縁となる。
text/shaseki/ko_shaseki09b-09.txt · 最終更新: 2019/04/17 21:51 by Satoshi Nakagawa