ユーザ用ツール

サイト用ツール


text:senjusho:m_senjusho07-09

差分

このページの2つのバージョン間の差分を表示します。

この比較画面へのリンク

両方とも前のリビジョン前のリビジョン
text:senjusho:m_senjusho07-09 [2016/08/20 12:02] – [翻刻] Satoshi Nakagawatext:senjusho:m_senjusho07-09 [2016/08/20 12:07] (現在) – [校訂本文] Satoshi Nakagawa
行 11: 行 11:
 一年あまり、この所にありけるが、いかなりけることの侍りけるにや、かき消すごとくに失せ侍りぬ。主をはじめて、ありとある人、「さも思はしかりつるものを」とて、泣き悲しみけれども、さらにかひなし。 一年あまり、この所にありけるが、いかなりけることの侍りけるにや、かき消すごとくに失せ侍りぬ。主をはじめて、ありとある人、「さも思はしかりつるものを」とて、泣き悲しみけれども、さらにかひなし。
  
-さて、かの住みつる所を開けて見れば、まことにめでたき手跡にて、日日記をせし侍り。「何ごとぞ」と見れば、「いくいく、かの日は頭燃を払ふ思ひなして、念仏三百反これを申す」、また、「その日は戌の半より辰の半まで座禅しぬ」、次の日は不浄観、ある時は唯識観を修すなんどいふ。一筋に観法勤め((「勤め」は底本「勧」。諸本により訂正。))の日記にて侍りける。これを見るに、いよいよかきくらさるる心地して、涙を流さぬ人は侍らざりけり。+さて、かの住みつる所を開けて見れば、まことにめでたき手跡にて、日日記をせし侍り。「何ごとぞ」と見れば、「いくいく、かの日は頭燃を払ふ思ひなして、念仏三百反申す((「申す」は底本「申み」。諸本、「申」「申ぬ」「申なり」などがあるが、「み」は衍字とみて訂正。))」、また、「その日は戌の半より辰の半まで座禅しぬ」、次の日は不浄観、ある時は唯識観を修すなんどいふ。一筋に観法勤め((「勤め」は底本「勧」。諸本により訂正。))の日記にて侍りける。これを見るに、いよいよかきくらさるる心地して、涙を流さぬ人は侍らざりけり。
  
 誰といふ智者の、徳を隠して((「隠して」は底本「なかして」。諸本により訂正。))つぶねとなられけるやらむ。「あはれ、玄賓僧都にやいまそかるらん」と、昔の跡ゆかしくぞ侍る。 誰といふ智者の、徳を隠して((「隠して」は底本「なかして」。諸本により訂正。))つぶねとなられけるやらむ。「あはれ、玄賓僧都にやいまそかるらん」と、昔の跡ゆかしくぞ侍る。
text/senjusho/m_senjusho07-09.1471662152.txt.gz · 最終更新: 2016/08/20 12:02 by Satoshi Nakagawa