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text:jikkinsho:s_jikkinsho00-00 [2015/08/17 00:00] – 作成 Satoshi Nakagawa | text:jikkinsho:s_jikkinsho00-00 [2015/08/17 19:17] – Satoshi Nakagawa | ||
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十訓抄 | 十訓抄 | ||
- | ====== 序 ====== | + | ====== 序 それ世の中にある人ことわざしげき振舞につけて・・・====== |
===== 校訂本文 ===== | ===== 校訂本文 ===== | ||
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それ、世の中にある人、ことわざしげき振舞につけて、高き賤しき品を分かず、賢なるは得多く、愚なるは失多し。しかるに、今何となく、聞き見るところの、昔今の物語を種として、万の言の葉の中より、いささかその二つの跡を取りて、良き方をばこれを勧め、悪しき筋をばこれを誡めつつ、いまだこの道を学び知らざらん少年のたぐひをして、心をつくる便りとなさしめんがために、試みに十段の篇を別かちて、十訓抄と名づく。すなはち、三巻の文として、三余の窓に置かむとなり。 | それ、世の中にある人、ことわざしげき振舞につけて、高き賤しき品を分かず、賢なるは得多く、愚なるは失多し。しかるに、今何となく、聞き見るところの、昔今の物語を種として、万の言の葉の中より、いささかその二つの跡を取りて、良き方をばこれを勧め、悪しき筋をばこれを誡めつつ、いまだこの道を学び知らざらん少年のたぐひをして、心をつくる便りとなさしめんがために、試みに十段の篇を別かちて、十訓抄と名づく。すなはち、三巻の文として、三余の窓に置かむとなり。 | ||
- | その詞(ことば)、和字を先として、必ずしも筆の費(つひえ)多からず。見る者、目安からんことを思ふゆゑなり。その例、漢家を次(ついで)として、広く文の道を訪(とぶら)はず。聞く者、耳近からんことを思ふゆゑなり。すべてこれを言ふに、空しき詞を飾らず、ただ実のためしを集む。道の傍らの碑の文をば、こひ願はざるところなり。 | + | その詞(ことば)、和字を先として、必ずしも筆の費(つひえ)多からず。見る者、目安からんことを思ふゆゑなり。その例、漢家を次(ついで)として、広く文の道を訪(とぶら)はず。聞く者、耳近からんことを思ふゆゑなり。すべてこれを言ふに、空しき詞を飾らず、ただ実の例(ためし)を集む。道の傍らの碑の文をば、こひ願はざるところなり。 |
ただし、つたなき身を顧みるに、秋の蛍の光を集めずして、風月の望みに暗く、春の鶯のさへづりを学ばざれは、糸竹の曲に踈し。芸なく能欠けたり。なすことなくして、いたづらにあまたの露霜を送るばかりなり。かかるにつけては、藻塩草書き誤れる言の葉も数積り、梓弓引きみん人の嘲(あざけ)りも外れがたく思えながら、志のゆくところ、ただにはいかが止むとてならし。 | ただし、つたなき身を顧みるに、秋の蛍の光を集めずして、風月の望みに暗く、春の鶯のさへづりを学ばざれは、糸竹の曲に踈し。芸なく能欠けたり。なすことなくして、いたづらにあまたの露霜を送るばかりなり。かかるにつけては、藻塩草書き誤れる言の葉も数積り、梓弓引きみん人の嘲(あざけ)りも外れがたく思えながら、志のゆくところ、ただにはいかが止むとてならし。 |
text/jikkinsho/s_jikkinsho00-00.txt · 最終更新: 2016/04/27 21:55 by Satoshi Nakagawa