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text:chomonju:s_chomonju265 [2020/04/03 22:03] – 作成 Satoshi Nakagawa | text:chomonju:s_chomonju265 [2020/06/20 23:40] (現在) – Satoshi Nakagawa | ||
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件(くだん)の生き尾は、清き物に入れて深く納めにけり。やがて、その法を習はせ給ひて、さしたる御望みなどのありけるには、みづから行なはせ給ひけり。かならず験ありけるとぞ。妙御院の護法殿に収められける、いかがなりぬらん。その生き尾のほかも、また別の御本尊ありけるとかや。花園の大臣(おとど)((源有仁))の御跡、冷泉東洞院に御わたりありし時も、祠(ほこら)を構へて祝(いは)はれたりけり。福天神とて、その社、当時もおはしますめり。 | 件(くだん)の生き尾は、清き物に入れて深く納めにけり。やがて、その法を習はせ給ひて、さしたる御望みなどのありけるには、みづから行なはせ給ひけり。かならず験ありけるとぞ。妙御院の護法殿に収められける、いかがなりぬらん。その生き尾のほかも、また別の御本尊ありけるとかや。花園の大臣(おとど)((源有仁))の御跡、冷泉東洞院に御わたりありし時も、祠(ほこら)を構へて祝(いは)はれたりけり。福天神とて、その社、当時もおはしますめり。 | ||
- | この福天神の不思議多かる中に、寛喜元年のころ、七条院((白河院の御所。))に式部大夫国成といふ者あり。越前の目代にて侍りしかば、其時は目代入道とぞ申しける。その子息に左衛門尉なにがしとかやといひて、四条大納言((藤原隆房))家に祇候(しこう)の間、夕暮にかの亭冷泉万里小路より退出の時、大炊御門高倉辺にて立ちとどまりて、「あなおもしろの箏の音(ね)や」と言ひて、行きもやらず、うち傾(かたぶ)きて、おもしろがりけり。供にある男に、「これは聞くか」と言ふ。「さらに聞かず」と答へければ、「いかにや、これほどにおもしろき箏をば聞かぬ」とて、なほ一人心を澄まして立ちたりけり。 | + | この福天神の不思議多かる中に、寛喜元年のころ、七条院((白河院の御所。))に式部大夫国成といふ者あり。越前の目代にて侍りしかば、其時は目代入道とぞ申しける。その子息に左衛門尉なにがしとかやといひて、四条大納言((藤原隆房))家に祗候(しこう)の間、夕暮にかの亭冷泉万里小路より退出の時、大炊御門高倉辺にて立ちとどまりて、「あなおもしろの箏の音(ね)や」と言ひて、行きもやらず、うち傾(かたぶ)きて、おもしろがりけり。供にある男に、「これは聞くか」と言ふ。「さらに聞かず」と答へければ、「いかにや、これほどにおもしろき箏をば聞かぬ」とて、なほ一人心を澄まして立ちたりけり。 |
さて、家に行き着きて、やがて胸を病み出だして、あさましく大事なり。その上、物狂はしくて、西をさして走り出でむとしければ、したたかなる者ども六人して取りとどめけるに、その力の強きこと、いふばかりなし。高く踊り上りて、頭(かしら)を下(しも)になして、肩を板敷に強く投げければ((「投げければ」は底本「なけられは」。諸本により訂正。))、ただ今に身も砕けぬとぞ見えける。 | さて、家に行き着きて、やがて胸を病み出だして、あさましく大事なり。その上、物狂はしくて、西をさして走り出でむとしければ、したたかなる者ども六人して取りとどめけるに、その力の強きこと、いふばかりなし。高く踊り上りて、頭(かしら)を下(しも)になして、肩を板敷に強く投げければ((「投げければ」は底本「なけられは」。諸本により訂正。))、ただ今に身も砕けぬとぞ見えける。 | ||
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その時、「琵琶の手は聞かせ給ひぬ。箏の調子はいかに。これほど好かせ給ひたれば、心おちて弾きて聞かせ奉らん」とて、三段の上りかき合はせ、並びに梅花といふ撥合(ばちあはせ)など弾きて聞かせければ、掌(たなごころ)を合はせておもしろがりけり。 | その時、「琵琶の手は聞かせ給ひぬ。箏の調子はいかに。これほど好かせ給ひたれば、心おちて弾きて聞かせ奉らん」とて、三段の上りかき合はせ、並びに梅花といふ撥合(ばちあはせ)など弾きて聞かせければ、掌(たなごころ)を合はせておもしろがりけり。 | ||
- | かくするほどに、夜すでに明けて、壁の崩れより日影のさし入りたる穴より、犬の鼻を吹きて内を嗅ぎけるを((「嗅ぎけるを」は底本「かきける候を」。諸本により訂正。))、この病者見て、肩をすゑ、顔の色変り、恐れおののきたる気色なり。 | + | かくするほどに、夜すでに明けて、壁の崩れより日影のさし入りたる穴より、犬の鼻を吹きて内を嗅ぎけるを((「嗅ぎけるを」は底本「かきける候を」。諸本により訂正。))、この病者見て、肩をすゑ、顔の色変はり、恐れおののきたる気色なり。 |
ここに、かの福天神の所為(しよゐ)と悟りて、犬を追ひのけつ。その後、気色なほりてけり。「今は心ゆきぬらん。まかり帰らん。見参に入り候ひぬる、嬉しく候ふ。御社へも参りて、物の音(ね)あまたそろへて、楽(がく)して聞かせ参らすべし」と言へば、「昔、常に承ることにて、その御名残なつかしく候ひて、恐れながら申して候ひつるなり」とぞのたまひける。さて、馬の助帰りぬ。 | ここに、かの福天神の所為(しよゐ)と悟りて、犬を追ひのけつ。その後、気色なほりてけり。「今は心ゆきぬらん。まかり帰らん。見参に入り候ひぬる、嬉しく候ふ。御社へも参りて、物の音(ね)あまたそろへて、楽(がく)して聞かせ参らすべし」と言へば、「昔、常に承ることにて、その御名残なつかしく候ひて、恐れながら申して候ひつるなり」とぞのたまひける。さて、馬の助帰りぬ。 | ||
行 97: | 行 97: | ||
大夫国成といふ物あり越前の目代にて侍しかは其時は目代 | 大夫国成といふ物あり越前の目代にて侍しかは其時は目代 | ||
入道とそ申けるその子息に左衛門尉なにかしとかやといひて | 入道とそ申けるその子息に左衛門尉なにかしとかやといひて | ||
- | 四条大納言家に祇候のあひた夕暮に彼亭冷泉万里 | + | 四条大納言家に祗候のあひた夕暮に彼亭冷泉万里 |
小路より退出の時大炊御門高倉辺にて立ととまりて | 小路より退出の時大炊御門高倉辺にて立ととまりて | ||
あなおもしろの箏のねやといひて行もやらすうちかたふきて | あなおもしろの箏のねやといひて行もやらすうちかたふきて |
text/chomonju/s_chomonju265.txt · 最終更新: 2020/06/20 23:40 by Satoshi Nakagawa