text:chomonju:s_chomonju014
差分
このページの2つのバージョン間の差分を表示します。
両方とも前のリビジョン前のリビジョン | |||
text:chomonju:s_chomonju014 [2020/01/12 23:20] – Satoshi Nakagawa | text:chomonju:s_chomonju014 [2020/02/01 13:31] (現在) – [校訂本文] Satoshi Nakagawa | ||
---|---|---|---|
行 6: | 行 6: | ||
元永元年四月九日、顕通大納言((源顕通))、中納言右衛門督にて、公卿勅使奉りて下られけるに、いづれの宿とかやにて、宸筆の宣命を取り落して立たれにけり。急ぎ人を返し遣(つか)はして求められけれども、日次(ひなみ)などは違(たが)ひて侍りけん。 | 元永元年四月九日、顕通大納言((源顕通))、中納言右衛門督にて、公卿勅使奉りて下られけるに、いづれの宿とかやにて、宸筆の宣命を取り落して立たれにけり。急ぎ人を返し遣(つか)はして求められけれども、日次(ひなみ)などは違(たが)ひて侍りけん。 | ||
- | 父の太相国((源雅実))、その時右大臣にておはしけるが、このことを聞かれて、「家継ぐまじき者なり」とぞ宣(のたま)ひける。 | + | 父の大相国((源雅実))、その時右大臣にておはしけるが、このことを聞かれて、「家継ぐまじき者なり」とぞ宣(のたま)ひける。 |
保安三年正月二十三日に、大納言にはなられけれども、四月に胸を患(わづら)ひて、父の大臣に先立ちて、八日失せられにけり。 | 保安三年正月二十三日に、大納言にはなられけれども、四月に胸を患(わづら)ひて、父の大臣に先立ちて、八日失せられにけり。 |
text/chomonju/s_chomonju014.1578838832.txt.gz · 最終更新: 2020/01/12 23:20 by Satoshi Nakagawa