text:zotanshu:zotan02-03
差分
このページの2つのバージョン間の差分を表示します。
| 両方とも前のリビジョン前のリビジョン | |||
| text:zotanshu:zotan02-03 [2025/10/19 15:18] – [校訂本文] Satoshi Nakagawa | text:zotanshu:zotan02-03 [2025/10/19 15:24] (現在) – [校訂本文] Satoshi Nakagawa | ||
|---|---|---|---|
| 行 23: | 行 23: | ||
| この志の色、物のなきなど、とかく云ふはみな志のなきなり。「暇(いとま)の無し」と云ふもかくのごとし。夢中のこと、万事いたづらごとなり。何事にかさしあふべき。六道生死の夢の中に、会ひたき仏法、ことにわきては優曇華(うどんげ)に譬へられたる法華一乗の妙典など、もしは読誦、もしは講讃、如説の行本となり。もしは座禅観法この事まことに心中に一大事に思はば、これを指し合ひにして、世事(せじ)よろづなすべからず。 | この志の色、物のなきなど、とかく云ふはみな志のなきなり。「暇(いとま)の無し」と云ふもかくのごとし。夢中のこと、万事いたづらごとなり。何事にかさしあふべき。六道生死の夢の中に、会ひたき仏法、ことにわきては優曇華(うどんげ)に譬へられたる法華一乗の妙典など、もしは読誦、もしは講讃、如説の行本となり。もしは座禅観法この事まことに心中に一大事に思はば、これを指し合ひにして、世事(せじ)よろづなすべからず。 | ||
| - | 「暇(いとま)無くて学行せず」など云ふは、ただ志の無きなり。なかなか「志の無き」と云ふは正直なり。「暇の無き」と云は、いよいよ虚妄(こまう)なり。けやけき拙(つたな)き心なり。よくよくこの道理案じほどきて、もしは学、もしは行、光陰を惜むべし。経に云はく、「仏弟子は二事を行ずべし。一つには聖黙然(しやうもくねん)、二つは説般若(せつはんにや)、云々。 | + | 「暇(いとま)無くて学行せず」など云ふは、ただ志の無きなり。なかなか「志の無き」と云ふは正直なり。「暇の無き」と云ふは、いよいよ虚妄(こまう)なり。けやけき拙(つたな)き心なり。よくよくこの道理案じほどきて、もしは学、もしは行、光陰を惜むべし。経に云はく、「仏弟子は二事を行ずべし。一つには聖黙然(しやうもくねん)、二つは説般若(せつはんにや)、云々。 |
| 昔、ある山里に、まめ祖(そ)・ものぐさ祖とて、隣家(りんか)にて栖(す)みけり。まめ祖は朝夕(ちようせき)田畠(でんばく)作り、大豆(まめ)・小豆(あづき)・粟(あは)などまで、たのしく持ちたりけり。ある時、畠(はた)作りくたびれて居眠りしたるを、猿ども見て、「仏のおはします。供養せむ」とて、薯蕷(やまのいも)・野老(ところ)・栗(くり)・椎(しい)など多く持ち来たりて、山塚と前に取り置きて去りにけり。ふすふす((「伏す伏す」か。))負ふて帰りぬ。 | 昔、ある山里に、まめ祖(そ)・ものぐさ祖とて、隣家(りんか)にて栖(す)みけり。まめ祖は朝夕(ちようせき)田畠(でんばく)作り、大豆(まめ)・小豆(あづき)・粟(あは)などまで、たのしく持ちたりけり。ある時、畠(はた)作りくたびれて居眠りしたるを、猿ども見て、「仏のおはします。供養せむ」とて、薯蕷(やまのいも)・野老(ところ)・栗(くり)・椎(しい)など多く持ち来たりて、山塚と前に取り置きて去りにけり。ふすふす((「伏す伏す」か。))負ふて帰りぬ。 | ||
text/zotanshu/zotan02-03.1760854709.txt.gz · 最終更新: by Satoshi Nakagawa
