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text:yomeiuji:uji108 [2014/10/07 19:13] Satoshi Nakagawatext:yomeiuji:uji108 [2015/05/09 16:45] – [第108話(巻9・第3話)越前敦賀女、観音助給ふ事] Satoshi Nakagawa
行 22: 行 22:
 「物あらばとらせてまし」と思ひゐたる程に、夜うちふけて、この旅人のけはひにて、「此おはします人、よらせ給へ。物申さん」といへば、「何事にか侍らん」とていざりよりたるを、なにのさはりもなければ、ふといりきてひかへつ。「こはいかに」といへど、いはすべくもなきに、あはせて夢にみし事もありしかば、とかくおもひいふべきにもあらず。 「物あらばとらせてまし」と思ひゐたる程に、夜うちふけて、この旅人のけはひにて、「此おはします人、よらせ給へ。物申さん」といへば、「何事にか侍らん」とていざりよりたるを、なにのさはりもなければ、ふといりきてひかへつ。「こはいかに」といへど、いはすべくもなきに、あはせて夢にみし事もありしかば、とかくおもひいふべきにもあらず。
  
-此男は、美濃国に猛将ありけり。それが独子にて、その親うせにければ、よろづの物うけつたへて、おやにもおとらぬ物にて有けるが、思ける妻子をくれて、やもめにてありけるを、「これ聟にとらん」「妻にならん」といふもの、あまたありけれども、「ありし妻子似たらむ人を」と思て、やもめにて過しけるが、若狭に沙汰すべき事ありて、行なりけり。+此男は、美濃国に猛将ありけり。それが独子にて、その親うせにければ、よろづの物うけつたへて、おやにもおとらぬ物にて有けるが、思ける妻子をくれて、やもめにてありけるを、「これかれ聟にとらん」「妻にならん」といふもの、あまたありけれども、「ありし妻子似たらむ人を」と思て、やもめにて過しけるが、若狭に沙汰すべき事ありて、行なりけり。
  
 ひる、やどりゐる程に、かたすみにゐたる所も、なにのかくれもなかりければ「いかなるもののゐたるぞ」と、のぞきてみるに、ただ「ありし妻のありけるか」とおぼえければ、目もくれ、心もさはぎて、「いつしかとく暮よかし。近からんけしきも心みん」とて入きたる也。 ひる、やどりゐる程に、かたすみにゐたる所も、なにのかくれもなかりければ「いかなるもののゐたるぞ」と、のぞきてみるに、ただ「ありし妻のありけるか」とおぼえければ、目もくれ、心もさはぎて、「いつしかとく暮よかし。近からんけしきも心みん」とて入きたる也。
行 30: 行 30:
 若狭にも十日斗あるべかりけれども、この人のうしろめたさに、「あけば行て、又の日帰べきぞ」と返々契置て、さむげなりければ衣もきせをき、郎等四五人ばかり、それが従者などとりぐして、廿人斗の人のあるに、物くはすべきやうもなく、馬に草くはすべきやうもなかりければ、「いかにせまし」と思なげきける程に、おやのみづし所につかひける女の、むすめのありとばかりはききけれども、きかよふ事もなくて、よきおとこしてことかなひてありと斗はききわたりけるが、おもひもかけぬにきたりけるが、誰にかあらんと思て、「いかなる人のきたるぞ」ととひければ、「あな、心うや。御覧じしられぬは、我身のとがにこそさぶらへ。をのれは、故うへのおはしまししおり、みづし所つかまつり候しもののむすめに候。年比、『いかでまいらん』など思て過候を、けふはよろづをすてて参候つる也。かくたよりなくおはしますとならば、あやしくとも、居て候所にもおはしましかよひて、四五日づつもおはしませかし。心ざしは思たてまつれども、よそながらは明くれとぶらひたてまつらん事もおろかなるやうにおもはれ奉りぬべければ」など、こまごまとかたらひて、「このさぶらふ人々はいかなる人ぞ」ととへば、「ここにやどりたる人の、『若狭へ』とていぬるが、あすここへ帰つかんずれば、その程とて、此ある物どもをとどめ置ていぬるに、これにもくうべき物はぐせざりけり。ここにもくはすべき物もなきに、日はたかくなれば『いとをし』と思へども、すべきやうもなくてゐたるなり」といへば、「しりあつかひたてまつるべき人にやおはしますらん」といへば、「わざとさは思はねど、ここにやどりたらん人の、物くはでゐたらんを見すぐさんもうたてあるべう。又、おもひはなつべきやうもなき人にてあるなり」といへば、「さてはいとやすき事なり。けふしも、かしこくまいり候にけり。さらばまかりて、さるべきさまにてまいらむ」とて、たちていぬ。 若狭にも十日斗あるべかりけれども、この人のうしろめたさに、「あけば行て、又の日帰べきぞ」と返々契置て、さむげなりければ衣もきせをき、郎等四五人ばかり、それが従者などとりぐして、廿人斗の人のあるに、物くはすべきやうもなく、馬に草くはすべきやうもなかりければ、「いかにせまし」と思なげきける程に、おやのみづし所につかひける女の、むすめのありとばかりはききけれども、きかよふ事もなくて、よきおとこしてことかなひてありと斗はききわたりけるが、おもひもかけぬにきたりけるが、誰にかあらんと思て、「いかなる人のきたるぞ」ととひければ、「あな、心うや。御覧じしられぬは、我身のとがにこそさぶらへ。をのれは、故うへのおはしまししおり、みづし所つかまつり候しもののむすめに候。年比、『いかでまいらん』など思て過候を、けふはよろづをすてて参候つる也。かくたよりなくおはしますとならば、あやしくとも、居て候所にもおはしましかよひて、四五日づつもおはしませかし。心ざしは思たてまつれども、よそながらは明くれとぶらひたてまつらん事もおろかなるやうにおもはれ奉りぬべければ」など、こまごまとかたらひて、「このさぶらふ人々はいかなる人ぞ」ととへば、「ここにやどりたる人の、『若狭へ』とていぬるが、あすここへ帰つかんずれば、その程とて、此ある物どもをとどめ置ていぬるに、これにもくうべき物はぐせざりけり。ここにもくはすべき物もなきに、日はたかくなれば『いとをし』と思へども、すべきやうもなくてゐたるなり」といへば、「しりあつかひたてまつるべき人にやおはしますらん」といへば、「わざとさは思はねど、ここにやどりたらん人の、物くはでゐたらんを見すぐさんもうたてあるべう。又、おもひはなつべきやうもなき人にてあるなり」といへば、「さてはいとやすき事なり。けふしも、かしこくまいり候にけり。さらばまかりて、さるべきさまにてまいらむ」とて、たちていぬ。
  
-「いとをしかりつる事をおもひかけぬ人のきて、たのもしげにいひていぬるは、とかく、観音のみちびかせ給なめり」と思て、いとど手をすりて、念じたてまつる程に、則、物どももたせてきたりければ、くひ物どもなど多かり。馬の草までこしらへ持てきたり。いふかぎりなく「うれし」と、おぼゆ。+「いとをしかりつる事をおもひかけぬ人のきて、たのもしげにいひていぬるは、とかく、ただ観音のみちびかせ給なめり」と思て、いとど手をすりて、念じたてまつる程に、則、物どももたせてきたりければ、くひ物どもなど多かり。馬の草までこしらへ持てきたり。いふかぎりなく「うれし」と、おぼゆ。
  
-この人々、もてきやうようし、物くはせ、酒のませはてて入きたれば、「こはいかに。我おやのいき返おはしたるなめり。とにかくにあさましくて、すべきかたなく、いとおしかりつる恥をかくし給ふること」といひて、悦なきければ、女もうちなきていふやう、「年比も、『いかでかおはしますらん』と思給へながら、世中すぐしさぶらふ人は、心とたがうやうにてすぎ候つるを、けふ、かかるおりにまいりあひて、いかでかおろかには思ひまいらせん。若狭へこえ給にけん人は、いつか帰つき給はんぞ。御共人は、いくらばかりか候。」ととへば、「いさ、まことにやあらん。あすの夕さり、ここにくべかんなる。ともには、このある物どもぐして、七八十人ばかりぞありし」といへば、「さてはその御まうけこそ、つかまつるべかんなれ」といへば、「これだにおもひがけずうれしきに、さまではいかがあらん」といふ。「いかなる事なりとも、今よりはいかでかつかまつらであらんずる」とて、たのもしくいひをきてぬ。この人々の、夕さり、つとめてのくひ物まで、さたし置たり。おぼえなくあさましきままには、ただ観音を念じ奉る程に、その日もくれぬ。+この人々、もてきやうようし、物くはせ、酒のませはてて入きたれば、「こはいかに。我おやのいき返おはしたるなめり。とにかくにあさましくて、すべきかたなく、いとおしかりつる恥をかくし給ふること」といひて、悦なきければ、女もうちなきていふやう、「年比も、『いかでかおはしますらん』と思給へながら、世中すぐしさぶらふ人は、心とたがうやうにてすぎ候つるを、けふ、かかるおりにまいりあひて、いかでかおろかには思ひまいらせん。若狭へこえ給にけん人は、いつか帰つき給はんぞ。御共人は、いくらばかりか候。」ととへば、「いさ、まことにやあらん。あすの夕さり、ここにくべかんなる。ともには、このある物どもぐして、七八十人ばかりぞありし」といへば、「さてはその御まうけこそ、つかまつるべかんなれ」といへば、「これだにおもひがけずうれしきに、さまではいかがあらん」といふ。「いかなる事なりとも、今よりはいかでかつかまつらであらんずる」とて、たのもしくいひをきてぬ。この人々の、夕さり、つとめてのくひ物まで、さたし置たり。おぼえなくあさましきままには、ただ観音を念じ奉る程に、その日もくれぬ。
  
 又の日になりて、このあるものども、「けふは殿おはしまさんずらんかし」とまちたるに、さるの時ばかりにぞつきたる。「つきたるやをそき」とこの女、物どもおほくもたせてきて、申ののしれば、物たのもし。此男、いつしか入きて、おぼつかなかりつる事などいひふしたり。「暁はやがてぐして行べきよし」などいふ。 又の日になりて、このあるものども、「けふは殿おはしまさんずらんかし」とまちたるに、さるの時ばかりにぞつきたる。「つきたるやをそき」とこの女、物どもおほくもたせてきて、申ののしれば、物たのもし。此男、いつしか入きて、おぼつかなかりつる事などいひふしたり。「暁はやがてぐして行べきよし」などいふ。
行 42: 行 42:
 「いかなる事のあるぞ」とてみまはすに、観音の御肩に赤袴かかりたり。これをみるに、「いかなる事のあらん」とて、ありさまをとへば、此女の思もかけずきてしつるありさまを、こまかにかたりて「それにとらすと思つるはかまの、この観音の御かたにかかりたるぞ」といひもやらず、声をたててなけば、をのこも空ねしてききしに、「女にとらせつる袴にこそあんなれ」とおもふがかなしくて、おなじやうになく。郎等共も、物の心しりたるは、手をすりなきけり。かくて、たておさめ奉て、美濃へ越にけり。 「いかなる事のあるぞ」とてみまはすに、観音の御肩に赤袴かかりたり。これをみるに、「いかなる事のあらん」とて、ありさまをとへば、此女の思もかけずきてしつるありさまを、こまかにかたりて「それにとらすと思つるはかまの、この観音の御かたにかかりたるぞ」といひもやらず、声をたててなけば、をのこも空ねしてききしに、「女にとらせつる袴にこそあんなれ」とおもふがかなしくて、おなじやうになく。郎等共も、物の心しりたるは、手をすりなきけり。かくて、たておさめ奉て、美濃へ越にけり。
  
-其後、おもひかはして、又、よこめする事なくてすみければ、子どもうみつづけなどして、このつるがにもつねにきかよひて、観音に返々つかまつりけり。ありし女は、「さる物やある」とて、ちかくとをく尋させけれども、さらにさる女なかりけり。それよりのち、又をとづる事もなかりければ、ひとへにこの観音のせさせ給へるなりけり。+其後、おもひかはして、又、よこめする事なくてすみければ、子どもうみつづけなどして、このつるがにもつねにきかよひて、観音に返々つかまつりけり。ありし女は、「さる物やある」とて、ちかくとをく尋させけれども、さらにさる女なかりけり。それよりのち、又をとづる事もなかりければ、ひとへにこの観音のせさせ給へるなりけり。
  
 この男女、たがひに七八十に成までさかへて、をのこご女ごうみなどして、死の別にぞ別ける。 この男女、たがひに七八十に成までさかへて、をのこご女ごうみなどして、死の別にぞ別ける。
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text/yomeiuji/uji108.txt · 最終更新: 2018/12/26 14:37 by Satoshi Nakagawa