text:towazu:towazu4-32
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text:towazu:towazu4-32 [2019/10/18 23:34] – 作成 Satoshi Nakagawa | text:towazu:towazu4-32 [2019/10/18 23:37] (現在) – [校訂本文] Satoshi Nakagawa | ||
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- | かくて年を経るほどに、「さても、二見の浦((二見浦))は御神も二度(ふたたび)見そなはしてこそ二見とも申すなれば、今一度(いちど)参りもし、また生死(しやうじ)のことをも祈誓し申さむ」と思ひ立ちて、奈良より伊賀路(いがぢ)((「伊賀路」は底本「いかほ」。))と申す所よりまかり侍りしに、まづ笠置寺(かさおきでら)と申す所をすぎ行く((以下、脱文が想定されている。))。 | + | かくて年を経るほどに、「さても、二見の浦((二見浦))は御神も二度(ふたたび)見そなはしてこそ二見とも申すなれば、今一度(いちど)参りもし、また生死(しやうじ)のことをも祈誓し申さむ」と思ひ立ちて、奈良より伊賀路(いがぢ)((「伊賀路」は底本「いかほ」。))と申す所よりまかり侍りしに、まづ笠置寺(かさおきでら)と申す所を過ぎ行く((諸説、以下に脱文の存在を想定。))。 |
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text/towazu/towazu4-32.txt · 最終更新: 2019/10/18 23:37 by Satoshi Nakagawa