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text:sesuisho:n_sesuisho7-046 [2022/07/26 16:23] – 作成 Satoshi Nakagawatext:sesuisho:n_sesuisho7-046 [2022/07/26 16:25] (現在) – [校訂本文] Satoshi Nakagawa
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 真言宗の老僧、こざかしき弟子あまた持たれけるあり。山寺の冬の夕べ、ことにものすさまじく、さびしかりつるに、豆腐ただ一丁ならでなし。「これを田楽にし、なぐさまんに、むざと食うては曲(きよく)なし。さあらば、一の字の付きたる祖師の名を、おのおの言うて食すべき」にきはめられたり。 真言宗の老僧、こざかしき弟子あまた持たれけるあり。山寺の冬の夕べ、ことにものすさまじく、さびしかりつるに、豆腐ただ一丁ならでなし。「これを田楽にし、なぐさまんに、むざと食うては曲(きよく)なし。さあらば、一の字の付きたる祖師の名を、おのおの言うて食すべき」にきはめられたり。
  
-嫡弟(ちやくてい)、九曜曼陀羅(くえうまんだら)の元祖一行阿闍梨は貴(たつと)し」と、一串取りたり。次の弟子、ちくと人の知りたる一山一寧(いちざんいちねい)といふあり」と、二串取りたり。「時衆の開山一遍といふあり」と、「一峯妙斎((一峰明一か。))といふあり」と、「大山一元(たいさんいちげん)」のやれ、ひたもの取り食ひ、もはや田楽一串残れり。師匠、つひに言句出でず。「これは無念なり」と思ひ、手をさし出だし、「餓鬼(がつきめ、弘法大師((空海))」と言うて取られたり。+嫡弟(ちやくてい)、九曜曼陀羅(くえうまんだら)の元祖一行阿闍梨は貴(たつと)し」と、一串取りたり。次の弟子、ちくと人の知りたる一山一寧(いちざんいちねい)といふあり」と、二串取りたり。「時衆の開山一遍といふあり」と、「一峯妙斎((一峰明一か。))といふあり」と、「大山一元(たいさんいちげん)」のやれ、ひたもの取り食ひ、もはや田楽一串残れり。師匠、つひに言句出でず。「これは無念なり」と思ひ、手をさし出だし、「餓鬼(がつき)め、弘法大師((空海))」と言うて取られたり。
  
 弘法に一の字はないの。十号の中に見えず((底本この文小書き。「見えず」は底本「見えする」。諸本により訂正。))。 弘法に一の字はないの。十号の中に見えず((底本この文小書き。「見えず」は底本「見えする」。諸本により訂正。))。
text/sesuisho/n_sesuisho7-046.1658820198.txt.gz · 最終更新: 2022/07/26 16:23 by Satoshi Nakagawa