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text:sesuisho:n_sesuisho6-001 [2022/04/04 21:00] – 作成 Satoshi Nakagawa | text:sesuisho:n_sesuisho6-001 [2022/04/21 10:53] (現在) – [翻刻] Satoshi Nakagawa | ||
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- | 叡山西塔((比叡山延暦寺西塔))に、児(ちご)たち寄り合ひて、思ひ思ひの物語、時うつりしに、一人が言へるは、「この若道(にやくだう)といふことは、昔誰がたくみ出だしたるぞや」と、さもうらめしさうに問はれけるを、「この道は高野の大師弘法((空海))といふ人、これの御影堂に殊勝顔してゐらるる坊主の、唐まで歩(あり)き回り、かやうの難義を仕出だされたる」と語る者あり。 | + | 叡山西塔((比叡山延暦寺西塔))に、児(ちご)たち寄り合ひて、思ひ思ひの物語、時うつりしに、一人が言へるは、「この若道(にやくだう)といふことは、昔誰がたくみ出だしたるぞや」と、さもうらめしさうに問はれけるを、「この道は高野の大師弘法((空海))といふ人、これの御影堂に殊勝顔してゐらるる坊主の、唐まで歩(あり)き回り、かやうの難儀を仕出だされたる」と語る者あり。 |
「なかなか憎や」と思ひしが、ある朝、院主(ゐんす)も同宿も留守なりしに、小法師が児を呼びて、「このお仏餉(ぶつしやう)をお大師へ参らせ給へ」と教ゆる時、かの児持ちて行き、「かあ、これ食ふて、まつと何ぞたくめ」と。 | 「なかなか憎や」と思ひしが、ある朝、院主(ゐんす)も同宿も留守なりしに、小法師が児を呼びて、「このお仏餉(ぶつしやう)をお大師へ参らせ給へ」と教ゆる時、かの児持ちて行き、「かあ、これ食ふて、まつと何ぞたくめ」と。 | ||
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は高野の大師弘法といふ人これの御影堂に | は高野の大師弘法といふ人これの御影堂に | ||
殊勝かほしてゐらるる坊主の唐まてありきま | 殊勝かほしてゐらるる坊主の唐まてありきま | ||
- | はりかやうの難義を仕出されたるとかたる者/n5-2l | + | はりかやうの難義を仕出されたるとかたる者/n6-3l |
あり中々にくやと思ひしかある朝院主も同宿 | あり中々にくやと思ひしかある朝院主も同宿 | ||
も留守なりしに小法師か児をよひて此お仏 | も留守なりしに小法師か児をよひて此お仏 | ||
餉をお大師へ参らせたまへとをしゆる時彼児も | 餉をお大師へ参らせたまへとをしゆる時彼児も | ||
- | ちてゆきかあこれくふてまつとなんそたくめと/n5-3r | + | ちてゆきかあこれくふてまつとなんそたくめと/n6-4r |
text/sesuisho/n_sesuisho6-001.1649073613.txt.gz · 最終更新: 2022/04/04 21:00 by Satoshi Nakagawa