text:sesuisho:n_sesuisho4-015
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- | 河原院は融(とほる)の左大臣((源融))の家なり。陸奥(みちのく)の塩釜(しほがま)の形(かた)を作りて、潮を汲み寄せ、塩を焼かせなど、さまざまをかしきことを尽し住み給ひける。大臣(おとど)失せ給ひて後、宇多院((宇多天皇))には奉りたるなり。延喜の御門((醍醐天皇))、たびたび行幸ありけり。 | + | 河原院は融(とほる)の左大臣((源融))の家なり。陸奥(みちのく)の塩竈(しほがま)の形(かた)を作りて、潮を汲み寄せ、塩を焼かせなど、さまざまをかしきことを尽し住み給ひける。大臣(おとど)失せ給ひて後、宇多院((宇多天皇))には奉りたるなり。延喜の御門((醍醐天皇))、たびたび行幸ありけり。 |
院の住ませ給ふ夜半ばかりに、そよめきて、人の参るやうに思され、見させ給へば、日の装束うるはしくしたる人の、太刀はき笏取りて、二間ばかりのき、かしこまり居たり。 | 院の住ませ給ふ夜半ばかりに、そよめきて、人の参るやうに思され、見させ給へば、日の装束うるはしくしたる人の、太刀はき笏取りて、二間ばかりのき、かしこまり居たり。 |
text/sesuisho/n_sesuisho4-015.1637332087.txt.gz · 最終更新: 2021/11/19 23:28 by Satoshi Nakagawa