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text:myotatsu:ka_myotatsu00 [2024/10/09 22:45] – [校訂本文] Satoshi Nakagawatext:myotatsu:ka_myotatsu00 [2025/10/31 12:10] (現在) – [校訂本文] Satoshi Nakagawa
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 妙達和尚の入定して蘇りたる記に云はく 妙達和尚の入定して蘇りたる記に云はく
  
-天暦五年九月十五日、出羽国、海のつらいつほり、越後国の境、田河の郡(こほり)((田川郡))の南の山、龍寺((現在の善寳寺))といふ寺に久しくすむ僧あり。名をば妙達(めうたつ)といふ。法師になりて後、粟・稗・麦・大豆・小豆・飯すべて五穀を断ち、後山(あとやま)の麓(ふもと)を出でず、久しくこの寺に住む。久しく法華経を読み奉る。+天暦五年九月十五日、出羽国、海のつらいつほり、越後国の境、田河の郡(こほり)((田川郡))の南の山、龍寺((現在の善寳寺))といふ寺に久しくすむ僧あり。名をば妙達(めうたつ)といふ。法師になりて後、粟・稗・麦・大豆・小豆・飯すべて五穀を断ち、後山(あとやま)の麓(ふもと)を出でず、久しくこの寺に住む。久しく法華経を読み奉る。
  
 しかる間に、この僧、はからざるに定(ぢやう)に入りて、七日七夜ありて、蘇りて云はく、「閻王(えんわう)の都((「都」は底本表記「宮こ」))に召さる。召しに随(したが)ひて詣づ。その道、青き山狭(せば)く重なれり。黄なる砂子(すなご)を踏み過ぐ。七重(しちかさね)ある鉄(くろがね)の垣(かき)あり。わたのごとくにして廻り廻れり。六丈の銅(あかがね)の柱、高く開けたり。むなしきちまたを一人行く。 しかる間に、この僧、はからざるに定(ぢやう)に入りて、七日七夜ありて、蘇りて云はく、「閻王(えんわう)の都((「都」は底本表記「宮こ」))に召さる。召しに随(したが)ひて詣づ。その道、青き山狭(せば)く重なれり。黄なる砂子(すなご)を踏み過ぐ。七重(しちかさね)ある鉄(くろがね)の垣(かき)あり。わたのごとくにして廻り廻れり。六丈の銅(あかがね)の柱、高く開けたり。むなしきちまたを一人行く。
  
-閻魔王の宮に候ひて、すなはち高座につきぬ。その時、閻魔王ののたまはく、「なんぢは煩悩なし。しかのみならず、二生の沙(いさご)に浅からず。いはんや法師になりて後、他事なく法華経を読み奉る。すみやかに返帰りて法華経いま千部読み奉れ」とのたまふ。+閻魔王の宮に候ひて、すなはち高座につきぬ。その時、閻魔王ののたまはく、「なんぢは煩悩なし。しかのみならず、二生の沙(いさご)に浅からず。いはんや法師になりて後、他事なく法華経を読み奉る。すみやかに返るべ帰りて法華経いま千部読み奉れ」とのたまふ。
  
 その時に妙達、申して申さく、「父母(ぶも)の生きて侍らん所と、日本国に死に侍りにし人々の生まれたらむ所々を見知りて帰らむ」と申す時に、閻魔王のたまはく、「はやく見るべし」とのたまふ。 その時に妙達、申して申さく、「父母(ぶも)の生きて侍らん所と、日本国に死に侍りにし人々の生まれたらむ所々を見知りて帰らむ」と申す時に、閻魔王のたまはく、「はやく見るべし」とのたまふ。
text/myotatsu/ka_myotatsu00.1728481558.txt.gz · 最終更新: by Satoshi Nakagawa