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text:karakagami:m_karakagami0-00 [2022/10/01 18:56] Satoshi Nakagawatext:karakagami:m_karakagami0-00 [2022/10/16 16:40] (現在) Satoshi Nakagawa
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-諸寺諸山((底本「山」に「社」と異本注記。))の浄場(じやうぢやう)に百日参籠して、難解難入(なんげなんにう)の文(しんもん)を千部読誦し奉るべき素願(そぐわん)のおもむき、丹誠(たんせい)深しといへども、春草むなしく暮れて、秋風驚きやすく、壮日はやくかたぶきて、老年すでに至るによりて、三両年のあひだ一心他なし、頭燃(づねん)を払ふがごとくして、口業(くぎやう)怠らず、五月(さつき)のかみの十日ごろに、南海より西海におもむく。雲濤煙浪((くものなみけぶりのなみ))の路、漫々として、孤帆千里の望、眇々(べうべう)たり。十余日を経て安楽寺へ詣でつつ、寂寞無人声(じやくまくむにんしやう)の信心をすましむるものは、緱氏山(こうしざん)の秋((底本秋に続け「ノ空也」と異本注記。))月読誦此経典(どくじゆしきやうてん)の梵音(ぼんおん)をそふるものは伍子廟(ごしべう)の夜の潮なり。+諸寺諸山((底本「山」に「社」と異本注記。))の浄場(じやうぢやう)に百日参籠して、難解難入(なんげなんにう)の文(しんもん)を千部読誦し奉るべき素願(そぐわん)のおもむき、丹誠(たんせい)深しといへども、春草むなしく暮れて、秋風驚きやすく、壮日はやくかたぶきて、老年すでに至るによりて、三両年のあひだ一心他なし、頭燃(づねん)を払ふがごとくして、口業(くぎやう)怠らず、五月(さつき)のかみの十日ごろに、南海より西海におもむく。雲濤煙浪((くものなみけぶりのなみ))の路、漫々として、孤帆千里の望、眇々(べうべう)たり。十余日を経て安楽寺へ詣でつつ、寂寞無人声(じやくまくむにんしやう)の信心をすましむるものは、緱氏山(こうしざん)の秋((底本秋に続け「ノ空也」と異本注記。))読誦此経典(どくじゆしきやうてん)の梵音(ぼんおん)をそふるものは伍子廟(ごしべう)の夜の潮なり。
  
 長月の九日は((底本「は」に「ニ」と異本注記))千部結願し侍りしに、今日は重陽の宴とて、文人予参して詩宴厳重なり。去年(こぞ)の今夜「待清涼秋思詩篇独断腸。(清涼に侍して秋思の詩篇独り腸(はらわた)を断つ)」の御製作思ひ出だされて、数行の涙、一乗の文にそそく。講頌儀(こうしやうぎ)終りぬれば、涼夜やや更けて、秋風蕭諷(しうふうせつさつ)たり。 長月の九日は((底本「は」に「ニ」と異本注記))千部結願し侍りしに、今日は重陽の宴とて、文人予参して詩宴厳重なり。去年(こぞ)の今夜「待清涼秋思詩篇独断腸。(清涼に侍して秋思の詩篇独り腸(はらわた)を断つ)」の御製作思ひ出だされて、数行の涙、一乗の文にそそく。講頌儀(こうしやうぎ)終りぬれば、涼夜やや更けて、秋風蕭諷(しうふうせつさつ)たり。
  
-この時、二人の高僧あり。転誦の((底本「の」に続け「時」と異本注記。))始めより、聴聞の体にて傍らを離れ給はず。今夜近くゐ寄りてもののたまふ。一人は師とおぼしき体なり。そののたまふことはは聞き知られず。いま一人の、弟子とおぼしき人にぞ((底本「ぞ」なし。底本の異本注記に従う。))師の言葉を伝へらるる。通事(つじ)などの儀なり。+この時、二人の高僧あり。転誦の((底本「の」に続け「時」と異本注記。))始めより、聴聞の体にて傍らを離れ給はず。今夜近くゐ寄りてもののたまふ。一人は師とおぼしき体なり。そののたまふ言葉は聞き知られず。いま一人の、弟子とおぼしき人にぞ((底本「ぞ」なし。底本の異本注記に従う。))師の言葉を伝へらるる。通事(つじ)などの儀なり。
  
 「われは矌劫((「矌劫」は底本「矌功」。諸本により訂正。))より法華に縁ありて、生々世々(しやうじやうせぜ)に値遇(ちぐ)し、在々所々に敬礼奉る。宋朝の仏法衰へて、この教へを崇(あが)むる人まれなるゆゑに、日本へ渡りて最前にこの寺へ詣でつるに、千部の読誦聴聞し侍りつ。この経は不老不死の良薬なり((底本「なり」に「ノ」と異本注記。))と、金言誠実なれば、寿命長遠にして顔色衰邁(げんしきすいまい)せず。蒼海の三たびまで桑田となりしを見侍りき。天竺は仏在世((底本「世」に「ナシ」と異本注記。))の国なれども、境遥かなり。震旦国のありさま、おろおろ語り申さむ。もし聞かまほしくや」とのたまふに、答へて申していはく、「今は桑門(さうもん)の世捨人なりといへども、むかしは柳市の学をつとめき。漢家の世立(よたて)書籍(しよじやく)に見えたれども、愚昧の性分明らかならず。今承らんこと、老いの幸ひにて侍りなん」と申す。 「われは矌劫((「矌劫」は底本「矌功」。諸本により訂正。))より法華に縁ありて、生々世々(しやうじやうせぜ)に値遇(ちぐ)し、在々所々に敬礼奉る。宋朝の仏法衰へて、この教へを崇(あが)むる人まれなるゆゑに、日本へ渡りて最前にこの寺へ詣でつるに、千部の読誦聴聞し侍りつ。この経は不老不死の良薬なり((底本「なり」に「ノ」と異本注記。))と、金言誠実なれば、寿命長遠にして顔色衰邁(げんしきすいまい)せず。蒼海の三たびまで桑田となりしを見侍りき。天竺は仏在世((底本「世」に「ナシ」と異本注記。))の国なれども、境遥かなり。震旦国のありさま、おろおろ語り申さむ。もし聞かまほしくや」とのたまふに、答へて申していはく、「今は桑門(さうもん)の世捨人なりといへども、むかしは柳市の学をつとめき。漢家の世立(よたて)書籍(しよじやく)に見えたれども、愚昧の性分明らかならず。今承らんこと、老いの幸ひにて侍りなん」と申す。
text/karakagami/m_karakagami0-00.1664618210.txt.gz · 最終更新: 2022/10/01 18:56 by Satoshi Nakagawa