唐鏡 第一 伏羲氏より殷の時にいたる
第二十七の主は帝武乙(ぶいつ)と申しき。無道の君なり。人形を作りて、これを天神といふ。ともに博奕し給ふ。天神のそばに人をすゑて、代りに打たしむ。天神負けぬれば、その人形をうち割る。
また、革の袋を縫ひて、血を盛りて、仰(あふ)ぎてこれを射給ひて、名付けて「天を射る」とのたまひき。河渭1)の間に狩し給ひけるに、にはかに雷鳴りて震死せられ給ひぬ。2)
第廿七の主は帝武乙(フイツ)と申き無道の君なり人形を作てこ れを天神といふともに博奕し給ふ天神のそはに人をすへ てかはりにうたしむ天神まけぬれはその人形をうち はる又革(カハ)のふくろをぬいて血をも(りイ)てあふきてこれを射 給てなつけて天を射とのたまひき河渭(カヰ)の間に狩(カリ) し給けるに暴(イヤウ・ニワカ)に雷なりて震死せられ給ぬ イニ廿八大丁(武乙子)廿九帝乙(丁子)/s24r・m46