ユーザ用ツール

サイト用ツール


text:yomeiuji:uji096

差分

このページの2つのバージョン間の差分を表示します。

この比較画面へのリンク

両方とも前のリビジョン前のリビジョン
最新のリビジョン両方とも次のリビジョン
text:yomeiuji:uji096 [2014/10/06 22:18] Satoshi Nakagawatext:yomeiuji:uji096 [2015/03/30 16:43] – [第96話(巻7・第5話)長谷寺参籠の男、利生に預る事] Satoshi Nakagawa
行 10: 行 10:
 三七日はてて明んとする夜の夢に、御帳より人のいでて、「此おのこ、前世の罪のむくひをばしらで、観音をかこち申て、かくて候事、いとあやしき事也。さはあれども、申事のいとおしければ、いささかの事はからひ給りぬ。先、すみやかにまかりいでよ。まかり出んに、なににしあれ、手にあたらん物を取て、捨ずしてもちたれ。とくとく、まかり出よ」とをはるると見て、はいおきて、やくそくの僧のがりゆきて、物うち食てまかり出ける程に、大門にてけつまづきて、うつぶしにたをれにけり。 三七日はてて明んとする夜の夢に、御帳より人のいでて、「此おのこ、前世の罪のむくひをばしらで、観音をかこち申て、かくて候事、いとあやしき事也。さはあれども、申事のいとおしければ、いささかの事はからひ給りぬ。先、すみやかにまかりいでよ。まかり出んに、なににしあれ、手にあたらん物を取て、捨ずしてもちたれ。とくとく、まかり出よ」とをはるると見て、はいおきて、やくそくの僧のがりゆきて、物うち食てまかり出ける程に、大門にてけつまづきて、うつぶしにたをれにけり。
  
-おきあがりたるに、あるにもあらず、手ににぎられたる物をみれば、わらすべといふ物をただ一筋にぎられたり。「仏のたぶ物にて有にやあらん」といとはかなく思へども、「仏のはからはせ給やうあらん」と思て、これを手まさぐりにしつつ行程に、虻((本は虫偏に育))一、ぶめきてかほのめぐりに有を、うるさければ、木の枝をおりて払すつれども、猶ただおなじやうにうるさくぶめきければ、とらへて腰をこのわらすぢにてひきくくりて、枝のさきにつけてもたりければ、腰をくくられてほかへはえいかで、ぶめき飛まいりけるを、長谷にまいりける女車の、前の簾をうちかつぎてゐたるちごの、いとうつくしげなるが、「あの男のもちたる物はなにぞ。かれこひて我にたべ」と、馬に乗てともにあるさぶらひにいひければ、その侍、「その持たる物、若公のめすにまいらせよ」といひければ、「仏のたびたる物に候へど、かく仰事候へば、まいらせ候はん」とて、とらせたりければ、「此男、いとあはれなる男也。若公のめす物をやすくまいらせたる事」といひて、大柑子を、「これのどかはくらん。たべよ」とて、三、いとかうばしきみちのく紙に包てとらせたりければ、侍、とりつたへてとらす。+おきあがりたるに、あるにもあらず、手ににぎられたる物をみれば、わらすべといふ物をただ一筋にぎられたり。「仏のたぶ物にて有にやあらん」といとはかなく思へども、「仏のはからはせ給やうあらん」と思て、これを手まさぐりにしつつ行程に、虻((本は虫偏に育))一、ぶめきてかほのめぐりに有を、うるさければ、木の枝をおりて払すつれども、猶ただおなじやうにうるさくぶめきければ、とらへて腰をこのわらすぢにてひきくくりて、枝のさきにつけてもたりければ、腰をくくられてほかへはえいかで、ぶめき飛まいりけるを、長谷にまいりける女車の、前の簾をうちかつぎてゐたるちごの、いとうつくしげなるが、「あの男のもちたる物はなにぞ。かれこひて我にたべ」と、馬に乗てともにあるさぶらひにいひければ、その侍、「その持たる物、若公のめすにまいらせよ」といひければ、「仏のたびたる物に候へど、かく仰事候へば、まいらせ候はん」とて、とらせたりければ、「此男、いとあはれなる男也。若公のめす物をやすくまいらせたる事」といひて、大柑子を、「これのどかはくらん。たべよ」とて、三、いとかうばしきみちのく紙に包てとらせたりければ、侍、とりつたへてとらす。
  
 「藁一筋が大柑子三になりぬる事」と思て、木の枝にゆい付て、かたにうちてかけて行ほどに、「ゆへある人の忍てまいるよ」とみえて、侍など、あまたぐしてかちよりまいる女房の、あゆみこうじて、ただたりにたりゐたるが、「喉のかはけば、水のませよ」とて、きえ入やうにすれば、ともの人々、手まどひをして、「ちかく水やある」と走さはぎもとむれど、水もなし。「こはいかがせんずる。御はたご馬にやもしある」ととへど、「はるかにをくれたり」とてみえず。ほとほとしきさまにみゆれば、まことにさはぎまどひて、しあつかふをみて、「のどかはきてさはぐ人よ」とみければ、やはらあゆみよりたるに、「ここなる男こそ、水のあり所はしりたるらめ。此辺ちかく、水のきよき所やある」と問ければ、「此四五町がうちには、きよき水候はじ。いかなる事の候にか」ととひければ、「あゆみこうぜさせ給て、御喉のかはかせ給て、水ほしがらせ給に、水のなきが大事なれば、たづぬるぞ」といひければ、「不便に候御事かな。水の所は遠て、汲てまいらば程へ候なん。これはいかが」とて、つつみたる柑子を三ながらとらせたりければ、悦さはぎてくはせたれば、それを食てやうやう目を見あげて、「こはいかなりつる事ぞ」といふ。 「藁一筋が大柑子三になりぬる事」と思て、木の枝にゆい付て、かたにうちてかけて行ほどに、「ゆへある人の忍てまいるよ」とみえて、侍など、あまたぐしてかちよりまいる女房の、あゆみこうじて、ただたりにたりゐたるが、「喉のかはけば、水のませよ」とて、きえ入やうにすれば、ともの人々、手まどひをして、「ちかく水やある」と走さはぎもとむれど、水もなし。「こはいかがせんずる。御はたご馬にやもしある」ととへど、「はるかにをくれたり」とてみえず。ほとほとしきさまにみゆれば、まことにさはぎまどひて、しあつかふをみて、「のどかはきてさはぐ人よ」とみければ、やはらあゆみよりたるに、「ここなる男こそ、水のあり所はしりたるらめ。此辺ちかく、水のきよき所やある」と問ければ、「此四五町がうちには、きよき水候はじ。いかなる事の候にか」ととひければ、「あゆみこうぜさせ給て、御喉のかはかせ給て、水ほしがらせ給に、水のなきが大事なれば、たづぬるぞ」といひければ、「不便に候御事かな。水の所は遠て、汲てまいらば程へ候なん。これはいかが」とて、つつみたる柑子を三ながらとらせたりければ、悦さはぎてくはせたれば、それを食てやうやう目を見あげて、「こはいかなりつる事ぞ」といふ。
行 24: 行 24:
 男、よくやりはてて後、手かきあらひて、はせの御方にむかひて、「此馬、いけて給はらん」と念じゐたる程に、この馬、目を見あくるままに、頭をもたげておきんとしければ、やはら手をかけておこしぬ。うれしき事限なし。「をくれてくる人もぞある。又、ありつる男もぞくる」など、あやうくおぼえければ、やうやうかくれのかたに引入て、時うつるまでやすめて、もとのやうに心ちもなりにければ、人のもとに引もて行て、その布一むらして、轡や、あやしの鞍にかへて、馬に乗ぬ。 男、よくやりはてて後、手かきあらひて、はせの御方にむかひて、「此馬、いけて給はらん」と念じゐたる程に、この馬、目を見あくるままに、頭をもたげておきんとしければ、やはら手をかけておこしぬ。うれしき事限なし。「をくれてくる人もぞある。又、ありつる男もぞくる」など、あやうくおぼえければ、やうやうかくれのかたに引入て、時うつるまでやすめて、もとのやうに心ちもなりにければ、人のもとに引もて行て、その布一むらして、轡や、あやしの鞍にかへて、馬に乗ぬ。
  
-京ざまにのぼる程に、宇治わたりにて、日くれにければ、その夜は人のもとにとまりて、つとめていととく京ざまにのぼりければ、九条わたりなる人の家に、物へいかんずるやうにて、立さはぐ所あり。+京ざまにのぼる程に、宇治わたりにて、日くれにければ、その夜は人のもとにとまりて、今一むらの布して、馬の草・わが食物などにかへて、其の夜はとまりて、つとめていととく京ざまにのぼりければ、九条わたりなる人の家に、物へいかんずるやうにて、立さはぐ所あり。
  
 「此馬、京にいて行たらんに、見しりたる人ありて、『ぬすみたるか』などいはれんもよしなし。やはら、これを売てばや」と思て、「かやうの所に馬など用なる物ぞかし」とて、おり立てよりて、「もし馬などや買せ給ふ」ととひければ、「馬がな」と思けるほどにて、此馬をみて、「いかがせん」とさはぎて、只今かはりぎぬなどはなきを、この鳥羽の田や米などにはかへてんや」といひければ、「中々きぬよりは第一の事也」と思て、「きぬや銭などこそ用には侍れ。おのれは旅なれば、田ならば何にかはせんずると思給ふれど、馬の御用あるべくは、ただ仰にこそしたがはめ」といへば、此馬にのり心み、はせなどして、「ただ、思つるさま也」といひて、此鳥羽のちかき田三町、稲すこし、米などとらせてやりて、此家をあづけて「おのれもし命ありて帰のぼりたらば、その時返しえさせ給へ。のぼらざらんかぎりは、かくてゐ給つれ。もし又、命たえてなくもなりなば、やがてわが家にして居給へ。子も侍らねば、とかく申人もよも侍らじ」といひて、あづけて、やがてくだりにければ、その家に入居て、みたりける。 「此馬、京にいて行たらんに、見しりたる人ありて、『ぬすみたるか』などいはれんもよしなし。やはら、これを売てばや」と思て、「かやうの所に馬など用なる物ぞかし」とて、おり立てよりて、「もし馬などや買せ給ふ」ととひければ、「馬がな」と思けるほどにて、此馬をみて、「いかがせん」とさはぎて、只今かはりぎぬなどはなきを、この鳥羽の田や米などにはかへてんや」といひければ、「中々きぬよりは第一の事也」と思て、「きぬや銭などこそ用には侍れ。おのれは旅なれば、田ならば何にかはせんずると思給ふれど、馬の御用あるべくは、ただ仰にこそしたがはめ」といへば、此馬にのり心み、はせなどして、「ただ、思つるさま也」といひて、此鳥羽のちかき田三町、稲すこし、米などとらせてやりて、此家をあづけて「おのれもし命ありて帰のぼりたらば、その時返しえさせ給へ。のぼらざらんかぎりは、かくてゐ給つれ。もし又、命たえてなくもなりなば、やがてわが家にして居給へ。子も侍らねば、とかく申人もよも侍らじ」といひて、あづけて、やがてくだりにければ、その家に入居て、みたりける。
行 33: 行 33:
  
 その家あるじもをとせずなりにければ、其家も我物にして、子孫などいできて、ことのほかにさかへたりけるとか。 その家あるじもをとせずなりにければ、其家も我物にして、子孫などいできて、ことのほかにさかへたりけるとか。
 +
text/yomeiuji/uji096.txt · 最終更新: 2018/08/17 21:04 by Satoshi Nakagawa