text:yomeiuji:uji090
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text:yomeiuji:uji090 [2014/04/10 23:47] – 作成 Satoshi Nakagawa | text:yomeiuji:uji090 [2018/07/26 13:08] – [第90話(巻6・第8話)帽子の叟、孔子と問答の事] Satoshi Nakagawa | ||
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+ | 宇治拾遺物語 | ||
+ | 宇治拾遺物語 | ||
====== 第90話(巻6・第8話)帽子の叟、孔子と問答の事 ====== | ====== 第90話(巻6・第8話)帽子の叟、孔子と問答の事 ====== | ||
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**帽子の叟、孔子と問答の事** | **帽子の叟、孔子と問答の事** | ||
- | いまは昔、もろこしに孔子、林の中の岡だちたるやう成所にて逍遥し給。我は琴をひき、弟子どもはふみをよむ。 | + | ===== 校訂本文 ===== |
- | 爰に舟に乗たる叟の帽子したるが、舟を蘆につなぎて、陸にのぼり、杖をつきて、琴のしらべのをはるをきく。人々、「あやしき物かな」と、思へり。 | + | 今は昔、唐土(もろこし)に孔子、林の中の岡だちたるやうなる所にて逍遥(せうえう)し給ふ。われは琴を弾き、弟子どもは文(ふみ)を読む。 |
- | 此おきな、孔子の弟子共をまねくに、独の弟子まねかれてよりぬ。叟云、「此琴引給はたれぞ。もし国の王か」ととふ。「さもあらず」と云。「さは、国の大臣か」「それにもあらず」「さは、国の司か」「それにもあらず」「さはなにぞ」ととふに、「ただ、国のかしこき人として政をし、あしき事をなをし給、かしこき人なり」とこたう。翁、あざわらひて「いみじきしれ物かな」といひて、さりぬ。 | + | ここに、舟に乗りたる翁(おきな)の帽子したるが、舟を蘆(あし)につなぎて、陸にのぼり、杖をつきて、琴の調べの終るを聞く。人々、「怪しき者かな」と思へり。 |
- | 御弟子、ふしぎに思て、聞しままにかたる。孔子ききて、「かしこき人にこそあなれ。とくよびたてまつれ」。御弟子走て、いま舟こぎいづるをよびかへす。よばれて出きたり。 | + | この翁、孔子の弟子どもを招くに、一人の弟子、招かれて寄りぬ。翁いはく、「この琴弾き給ふは誰ぞ。もし、国の王か」と問ふ。「さもあらず」と言ふ。「さは、国の大臣か」。「それにもあらず」。「さは、国の司(つかさ)か」。「それにもあらず」。「さは何ぞ」と問ふに、「ただ、国のかしこき人として、政(まつりごと)をし、悪しきことを直し給ふ、かしこき人なり」と答ふ答ふ。翁、嘲笑(あざわら)ひて、「いみじき痴れ者かな」と言ひて去りぬ。 |
- | 孔子の給はく、「なにわざし給ひとぞ」。叟のいはく、「させる物にも侍らず。ただ舟にのりて、心をゆかさんがために、まかりありく也。君は、又なに人ぞ」。「世の政をなをさんために、まかりありく人なり」。叟のいはく、「きはまりて、はかなき人にこそ。世に影をいとふ物有。晴にいでてはなれんとはしる時、影はなるる事なし。陰にゐて心のどかにおらば、影はなれぬべきに、さはせずして、はれにいでてはなれんとする時には、力こそつくれ、影ははなるる事なし。又、犬の死かばねの、水にながれてくだる。これをとらんとはしるものは、水におぼれて死ぬ。かくのごとく無益の事をせらるる也。ただしかるべき居所をしめて、一生を送られん。これ今生の望なり。この事をせずして、心を世にそめてさはがるる事は、きはめてはかなき事也」といひて、返答もきかで帰行。 | + | 御弟子、不思議に思ひて、聞きしままに語る。孔子、聞きて、「かしこき人にこそあなれ。とく呼び奉れ」。御弟子、走りて、今舟漕ぎ出づるを呼び返す。呼ばれて出で来たり。 |
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+ | 孔子ののたまはく、「なにわざし給ふ人ぞ」。翁のいはく、「させる者にも侍らず。ただ舟に乗りて、心をゆかさんがために、まかり歩(あり)くなり。君は、また何人(なにびと)ぞ」。「世の政を直さんために、まかり歩く人なり」。翁のいはく、「きはまりて、はかなき人にこそ。世に影をいとふ者あり。晴れに出でて離れんと走る時、影、離るることなし。陰に居て、心のどかにをらば、影離れぬべきに、さはせずして、晴れに出でて離れんとする時には、力こそ尽くれ、影は離るることなし。また、犬の屍(しかばね)の水に流れて下る。これを取らんと走るものは、水に溺れて死ぬ。かくのごとく、無益(むやく)のことをせらるるなり。ただ、しかるべき居所をしめて、一生を送られん、これ今生の望みなり。このことをせずして、心を世に染めて、騒がるることは、きはめてはかなきことなり」と言ひて、返答も聞かで帰り行く。舟に乗りて、漕ぎ出でぬ。 | ||
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+ | 孔子、その後ろを見て、二たび拝みて、棹(さを)の音せぬまで拝み入りて居給へり。音せずなりてなん、車に乗りて帰り給にけるよし、人の語りしなり。 | ||
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+ | ===== 翻刻 ===== | ||
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+ | いまは昔もろこしに孔子林の中の岡たちたるやう成所 | ||
+ | にて逍遥し給我は琴をひき弟子ともはふみをよむ | ||
+ | 爰に舟に乗たる叟の帽子したるか舟を蘆につなきて | ||
+ | 陸にのほり杖をつきて琴のしらへのをはるをきく人々あやし | ||
+ | き物かなと思へり此おきな孔子の弟子共をまねくに独の弟子ま | ||
+ | ねかれてよりぬ叟云此琴引給はたれそもし国の王かととふさもあらすと云 | ||
+ | さは国の大臣かそれにもあらすさは国の司かそれにもあらすさは | ||
+ | なにそととふにたた国のかしこき人として政をしあしき事を | ||
+ | なをし給かしこき人なりとこたふ翁あさわらひていみしきしれ/94ウy192 | ||
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+ | 物かなといひてさりぬ御弟子ふしきに思て聞しままにかたる | ||
+ | 孔子ききてかしこき人にこそあなれとくよひたてまつれ御弟 | ||
+ | 子走ていま舟こきいつるをよひかへすよはれて出きたり | ||
+ | 孔子の給はくなにわさし給ひとそ叟のいはくさせる物にも侍らす | ||
+ | たた舟にのりて心をゆかさんかためにまかりありく也君は又なに | ||
+ | 人そ世の政をなをさんためにまかりありく人なり叟のいはく | ||
+ | きはまりてはかなき人にこそ世に影をいとふ物有晴にいてて | ||
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+ | 二たひおかみて棹の音せぬまておかみ入てゐたまへり音 | ||
+ | せすなりてなん車に乗て帰給にけるよし人のかたりし也/95ウy194 | ||
- | 舟に乗て、こぎ出ぬ。孔子、そのうしろをみて、二たびおがみて、棹の音せぬまでおがみ入てゐたまへり。音せずなりてなん、車に乗て帰給にけるよし、人のかたりし也。 |
text/yomeiuji/uji090.txt · 最終更新: 2018/07/26 15:41 by Satoshi Nakagawa