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text:yomeiuji:uji057 [2014/09/30 19:08] Satoshi Nakagawatext:yomeiuji:uji057 [2015/02/12 15:30] – [第57話(巻4・第5話)石橋の下の蛇の事] Satoshi Nakagawa
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 かかるほどに、日、ただくれに暮て、くらく成ぬれば、くちなはのありさまを、みるべきやうもなくて、此家主とおぼゆる女にいふやう、「かくやどさせ給へるかはりに、緒やある。うみてたてまつらん。火ともし給へ」といへば、「うれしくの給たり」とて、火ともしつ。お取出して、あづけたれば、それをうみつつみれば、「此女、ふしぬめり。いまや、よらんずらん。」とみれども、ちかくはよらず。「この事やがてもつげばや」と思へども、「つげたらば、我ためにもあしくやあらん」と思て、物もいえで、「しなさんやうみん」とて、夜中の過るまで、まもりゐたれ共、つゐにみゆるかたもなき程に、火消ぬれば、此女もねぬ。 かかるほどに、日、ただくれに暮て、くらく成ぬれば、くちなはのありさまを、みるべきやうもなくて、此家主とおぼゆる女にいふやう、「かくやどさせ給へるかはりに、緒やある。うみてたてまつらん。火ともし給へ」といへば、「うれしくの給たり」とて、火ともしつ。お取出して、あづけたれば、それをうみつつみれば、「此女、ふしぬめり。いまや、よらんずらん。」とみれども、ちかくはよらず。「この事やがてもつげばや」と思へども、「つげたらば、我ためにもあしくやあらん」と思て、物もいえで、「しなさんやうみん」とて、夜中の過るまで、まもりゐたれ共、つゐにみゆるかたもなき程に、火消ぬれば、此女もねぬ。
  
-明て後、「いかがあらん」と思て、まどひおきてみれば、此女、よき程にねおきて、かくもなげにて、家あるじとおぼゆる女にいふやう「こよひ夢をこそみつれ」といへば、「いかに見給へばぞ」ととへば、「『このねたる枕上に、人のゐる』と思てみれば、こしよりかみは人にて、しもはくちなはなる女の、きよげなるがゐていふやう『をのれは、人をうらめしと思ひし程に、かくくちなはの身をうけて、石橋の下におほくのとしをすぐして、わびしとおもひゐたる程に、昨日、をのれがをもしの石をふみ返し給しにたすけられて、石のその苦をまぬがれて、うれしと思ひ給しかば、『この人のおはしつらん所を、みをきたてまつりて、よろこびも申さむ』と思て、御供にまいりしほどに、菩提講の庭にまいり給ければ、その御供にまいりたるによりて、あひがたき法をうけ給たるによりて、おほく罪をさへほろぼして、その力にて人にむまれ侍べき功徳のちかくなり侍れば、いよいよ悦をいただきてかくてまいりたる也。このむくひには、物よくあらせたてまつりて、よきおとこなど、あはせたてまつるべきなり』といふとなんみつる」とかたるに、あさましくなりて、此やどりたる女のいふやう、「まことは、をのれはゐ中よりのぼりたるにも侍らず。そこそこに侍るもの也。それが、昨日菩提講に参り侍し道に、その程に行あひ給たりしが、しりに立て、あゆみまいりしに、大宮のその程に川の石橋をふみ返されたりし下より、まだらなりしこくちなはのいできて、御供に参しを、かくとつげ申さむと思しかども、つげたてまつりては我ためも悪事にてもやあらむずらんと、おそろしくて、え申さざりし也。誠に講の庭にもそのくちなは侍しかども、人もえみつけざりし也。はてて出給しおり、又ぐしたてまつりたりしかば、成はてんやうゆかしくて思もかけず、こよひここにて夜を明し侍りつる也。この夜中過るまでは、此蛇、柱のもとに侍つるが、明てみ侍つれば、くちなはもみえ侍らざりし也。それにあはせて、かかる夢がたりをし給へば、あさましく、おそろしくて、かくあらはし申なり。今よりは、これをついでにて、なに事も申さん」などいひかたらひて、後はつねに行かよひつつ、しる人になん成にけり。+明て後、「いかがあらん」と思て、まどひおきてみれば、此女、よき程にねおきて、ともかくもなげにて、家あるじとおぼゆる女にいふやう「こよひ夢をこそみつれ」といへば、「いかに見給へばぞ」ととへば、「『このねたる枕上に、人のゐる』と思てみれば、こしよりかみは人にて、しもはくちなはなる女の、きよげなるがゐていふやう『をのれは、人をうらめしと思ひし程に、かくくちなはの身をうけて、石橋の下におほくのとしをすぐして、わびしとおもひゐたる程に、昨日、をのれがをもしの石をふみ返し給しにたすけられて、石のその苦をまぬがれて、うれしと思ひ給しかば、『この人のおはしつらん所を、みをきたてまつりて、よろこびも申さむ』と思て、御供にまいりしほどに、菩提講の庭にまいり給ければ、その御供にまいりたるによりて、あひがたき法をうけ給たるによりて、おほく罪をさへほろぼして、その力にて人にむまれ侍べき功徳のちかくなり侍れば、いよいよ悦をいただきてかくてまいりたる也。このむくひには、物よくあらせたてまつりて、よきおとこなど、あはせたてまつるべきなり』といふとなんみつる」とかたるに、あさましくなりて、此やどりたる女のいふやう、「まことは、をのれはゐ中よりのぼりたるにも侍らず。そこそこに侍るもの也。それが、昨日菩提講に参り侍し道に、その程に行あひ給たりしが、しりに立て、あゆみまいりしに、大宮のその程に川の石橋をふみ返されたりし下より、まだらなりしこくちなはのいできて、御供に参しを、かくとつげ申さむと思しかども、つげたてまつりては我ためも悪事にてもやあらむずらんと、おそろしくて、え申さざりし也。誠に講の庭にもそのくちなは侍しかども、人もえみつけざりし也。はてて出給しおり、又ぐしたてまつりたりしかば、成はてんやうゆかしくて思もかけず、こよひここにて夜を明し侍りつる也。この夜中過るまでは、此蛇、柱のもとに侍つるが、明てみ侍つれば、くちなはもみえ侍らざりし也。それにあはせて、かかる夢がたりをし給へば、あさましく、おそろしくて、かくあらはし申なり。今よりは、これをついでにて、なに事も申さん」などいひかたらひて、後はつねに行かよひつつ、しる人になん成にけり。
  
 さてこの女、よに物よく成て、この比はなにとはしらず、大殿の下家司のいみじく徳あるが妻に成て、よろづの事叶てぞ有ける。尋ばかくれあらじかしとぞ。 さてこの女、よに物よく成て、この比はなにとはしらず、大殿の下家司のいみじく徳あるが妻に成て、よろづの事叶てぞ有ける。尋ばかくれあらじかしとぞ。
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text/yomeiuji/uji057.txt · 最終更新: 2018/03/08 21:25 by Satoshi Nakagawa