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text:uchigiki:uchigiki05 [2018/04/26 21:06] – 作成 Satoshi Nakagawatext:uchigiki:uchigiki05 [2018/04/26 21:06] – [校訂本文] Satoshi Nakagawa
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 老僧のいはく、「この寺は、弥勒の世まであるべき寺なり。大師より外に持ち給ふべき人なし。この寺、立て給へる歳(とし)、まかり老いて、心すごう思ひ給ひつるに、かう伝へ奉るは嬉しきことなり」とて、さて房に帰りぬ。 老僧のいはく、「この寺は、弥勒の世まであるべき寺なり。大師より外に持ち給ふべき人なし。この寺、立て給へる歳(とし)、まかり老いて、心すごう思ひ給ひつるに、かう伝へ奉るは嬉しきことなり」とて、さて房に帰りぬ。
  
-また、しばらくあれば、唐車に乗りたる人の、やんごとなき来たり。「『この寺の仏法、守(まぼ)らう』と誓たるなり。今よりは、大師を憑(たの)まむ」と契りて帰りぬ。誰(たれ)とも知らず、いぶかしければ、御供の人に、「これは誰かおはしますぞ」と問へば、御尾の明神のおはしますなり」と言ふ。「さればこそ、ただはおはせぬ人とは見れ。この老僧も、なほゆゑあらむ者ならむ。くはしく見む」とて、房に入りたれば、始めは生臭(なまぐさ)かりつるが、今度、いみじく香ばし。「さればこそ」と思ひて、入りて見れば、鯉の骨・鱗と見るは、蓮花のしぼみたる、あざやかなるを、鍋に入れて、煮喰ひ散らしたり。驚いて、近隣なる下法師のあるに問へば、「この老僧をば、教待和尚((底本「教待尚和」))となむ申しつる。人の夢にぞ、弥勒にて見え給ひける」。+また、しばらくあれば、唐車に乗りたる人の、やんごとなき来たり。「『この寺の仏法、守(まぼ)らう』と誓たるなり。今よりは、大師を憑(たの)まむ」と契りて帰りぬ。誰(たれ)とも知らず、いぶかしければ、御供の人に、「これは誰かおはしますぞ」と問へば、御尾の明神のおはしますなり」と言ふ。「さればこそ、ただはおはせぬ人とは見れ。この老僧も、なほゆゑあらむ者ならむ。くはしく見む」とて、房に入りたれば、始めは生臭(なまぐさ)かりつるが、今度、いみじく香ばし。「さればこそ」と思ひて、入りて見れば、鯉の骨・鱗と見るは、蓮花のしぼみたる、あざやかなるを、鍋に入れて、煮喰ひ散らしたり。驚いて、近隣なる下法師のあるに問へば、「この老僧をば、教待和尚((底本「教待尚和」))となむ申しつる。人の夢にぞ、弥勒にて見え給ひける」。
  
 まことに、かくやんごとなき人の住み給ひけるけにやあるらん、今にその仏法唱(さか)りなり。 まことに、かくやんごとなき人の住み給ひけるけにやあるらん、今にその仏法唱(さか)りなり。
text/uchigiki/uchigiki05.txt · 最終更新: 2018/04/26 22:31 by Satoshi Nakagawa