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text:towazu:towazu5-28

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text:towazu:towazu5-28 [2019/11/16 17:03] – 作成 Satoshi Nakagawatext:towazu:towazu5-28 [2019/11/16 17:09] (現在) – [校訂本文] Satoshi Nakagawa
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-深草の御門((後深草院))は御隠れの後、かこつべき御事どもも跡絶え果てたる心地して侍りしに、去年(こぞ)の三月八日、人丸((柿本人麻呂))の御影供(みえいぐ)を勤めたりしに(([[towazu5-18|5-18]]参照。))、今年の同じ月日、御幸に参り合ひたるも(([[towazu5-23|5-23]]参照。))不思議に、見しむば玉の御面影も(([[towazu5-22|5-22]]参照。))、うつつに思ひ合はせられて、「さても、宿願の行く末、いかがなり行かん」とおぼつかなく、「年月(としつき)の心の信(しん)もさすがむなしからずや」と思ひ続けて、身のありさまを一人思ひゐたるも飽かず思え侍る上、修行の心ざしも、西行が修行の式、うらやましく思えてこそ思ひ立ちしかば、その思ひをむなしくなさじばかりに、かやうのいたづらごとを続け置き侍るこそ、後の形見とまでは思え侍らぬ。+深草の御門((後深草院))は御隠れの後、かこつべき御事どもも跡絶え果てたる心地して侍りしに、去年(こぞ)の三月八日、人丸((柿本人麻呂))の御影供(みえいぐ)を勤めたりしに(([[towazu5-18|5-18]]参照。))、今年の同じ月日、御幸に参り合ひたるも(([[towazu5-23|5-23]]参照。))不思議に、見しむば玉の御面影も(([[towazu5-22|5-22]]参照。))、うつつに思ひ合はせられて、「さても、宿願の行く末、いかがなり行かん」とおぼつかなく、「年月(としつき)の心の信(しん)もさすがむなしからずや」と思ひ続けて、身のありさまを一人思ひゐたるも飽かず思え侍る上、修行の心ざしも、西行が修行の式((底本「修行のしき」。[[towazu1-37|1-37]]に、「西行が修行の記」がでてくることから、ここも「修行の記」の誤りとする説もある。))、うらやましく思えてこそ思ひ立ちしかば、その思ひをむなしくなさじばかりに、かやうのいたづらごとを続け置き侍るこそ、後の形見とまでは思え侍らぬ。
  
 >本云 >本云
text/towazu/towazu5-28.1573891436.txt.gz · 最終更新: 2019/11/16 17:03 by Satoshi Nakagawa