text:shaseki:ko_shaseki08b-12
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text:shaseki:ko_shaseki08b-12 [2019/03/02 13:47] – 作成 Satoshi Nakagawa | text:shaseki:ko_shaseki08b-12 [2019/03/02 21:44] (現在) – [校訂本文] Satoshi Nakagawa | ||
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この物語に書き付くること、言葉は少し少し違(たが)ふことありとも、虚誕はいささかも侍らず。ことに、仏神の徳、陀羅尼の験、一言も虚言なく侍り。三宝の知見あることなり。後見疑ひ給ふことなかれ。 | この物語に書き付くること、言葉は少し少し違(たが)ふことありとも、虚誕はいささかも侍らず。ことに、仏神の徳、陀羅尼の験、一言も虚言なく侍り。三宝の知見あることなり。後見疑ひ給ふことなかれ。 | ||
- | 去りにし弘安元年、坂東に疫癘(えきれい)おびただしくして、病死数知らず侍りき。十一歳の小童(こわらは)の病み侍りしが、「小童部(こわらはべ)の多く来たりて、なぶり候ふが、あまりにわびしく候ふ」と申せし間、僧ども四・五人して、千手陀羅尼を二十一返満てて侍りしかば、「小童、頭を打ち割られて、この方へ向きて、泣く泣くまかりぬ。また、寺より手多かる仏おはして、追ひ払ひ給ふと見え候ふ」とて、病やがて癒え侍き。 | + | 去んぬる弘安元年、坂東に疫癘(えきれい)おびただしくして、病死数知らず侍りき。十一歳の小童(こわらは)の病み侍りしが、「小童部(こわらはべ)の多く来たりて、なぶり候ふが、あまりにわびしく候ふ」と申せし間、僧ども四・五人して、千手陀羅尼を二十一返満てて侍りしかば、「小童、頭を打ち割られて、この方へ向きて、泣く泣くまかりぬ。また、寺より手多かる仏おはして、追ひ払ひ給ふと見え候ふ」とて、病やがて癒え侍き。 |
南都の戒壇院の僧の語り侍しは、ある在家の女房、霊病ありしを、千手陀羅尼を満てけるに、刀のやうなる物を吐き出だして侍(はんべ)りけり。 | 南都の戒壇院の僧の語り侍しは、ある在家の女房、霊病ありしを、千手陀羅尼を満てけるに、刀のやうなる物を吐き出だして侍(はんべ)りけり。 | ||
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念仏・真言等の功徳を、祖師、釈するには、「罪を作る時の心は、顛倒の因縁、妄想の所作なれば、これ虚妄なり。念仏を行ずる心は、真実の勝縁より起こる。一つは虚なり、一つは実なり。このゆゑに、念仏の徳は多却の罪を除くなり」。 | 念仏・真言等の功徳を、祖師、釈するには、「罪を作る時の心は、顛倒の因縁、妄想の所作なれば、これ虚妄なり。念仏を行ずる心は、真実の勝縁より起こる。一つは虚なり、一つは実なり。このゆゑに、念仏の徳は多却の罪を除くなり」。 | ||
- | また真言の師、釈していはく、「罪障も幻なり、真言の加持も幻なれども、煩悩・妄想は顛倒 | + | また真言の師、釈していはく、「罪障も幻なり、真言の加持も幻なれども、煩悩・妄想は顛倒の幻、一向に虚偽なり。真言の幻は金剛の幻、不思議の妙用なり。譬へば、弱き幻術師が現ずる幻をば、強き幻術師これを失なふがごとし」と言へり。 |
- | の幻、一向に虚偽なり。真言の幻は金剛の幻、不思議の妙用なり。譬へば、弱き幻術師が現ずる幻をば、強き幻術師これを失なふがごとし」と言へり。 | + | |
- | 衆生の愚かなる妄想の幻をば、諸仏のかしこき幻術をもて失ひ給ふなり。このこと、よくよく信じたもつべき法門なり。先徳の釈なり。仏法の道理なり。ゆめつめ疑ふべからず。 | + | 衆生の愚かなる妄想の幻をば、諸仏のかしこき幻術をもて失ひ給ふなり。このこと、よくよく信じたもつべき法門なり。先徳の釈なり。仏法の道理なり。ゆめゆめ疑ふべからず。 |
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text/shaseki/ko_shaseki08b-12.txt · 最終更新: 2019/03/02 21:44 by Satoshi Nakagawa