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text:senjusho:m_senjusho09-09 [2016/10/30 02:21] – [校訂本文] Satoshi Nakagawatext:senjusho:m_senjusho09-09 [2016/10/30 21:13] (現在) – [校訂本文] Satoshi Nakagawa
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 さても、その日の説法に、「六塵の境に心をとむな」と侍りしこと、心にいみじくしみて、今にいたるまでも、いたく境に思ひをとめ侍らぬなり。されば、般若((『大般若波羅蜜多経』))などの多くの中に((「に」は底本虫損。諸本により補う。))、万法空寂の旨を説かれて侍る。せんは、ただ六塵の境に着する思ひをやらんとにこそ。この明遍の説法、聞きしよりも貴く、内徳たけ、悟証実ありと見え侍りき。 さても、その日の説法に、「六塵の境に心をとむな」と侍りしこと、心にいみじくしみて、今にいたるまでも、いたく境に思ひをとめ侍らぬなり。されば、般若((『大般若波羅蜜多経』))などの多くの中に((「に」は底本虫損。諸本により補う。))、万法空寂の旨を説かれて侍る。せんは、ただ六塵の境に着する思ひをやらんとにこそ。この明遍の説法、聞きしよりも貴く、内徳たけ、悟証実ありと見え侍りき。
  
-そもそも、ついでをもて、都の中を廻るに、没後の仏事をいとなむ家多し。鳥部山の煙、絶えせず。舟岡((船岡山))の死人、隙さらず。あはれなるかな、いづれの時にか、船岡・鳥部のほとりに骨をさらして、むなしき名のみを残さん。悲しきかな、いかなる時にか薪にうづまれて、晴れぬ雨の曇り初めけん雲の種(たね)ともならん。朝露、消えやすく、春の夜の夢、長きにあらず。刹那の歓楽、かへりて苦の縁となる。世の中に思ひを留めて、生死の無常を思はざる、口惜しきには侍らずや。+そもそも、ついでをもて、都の中を廻るに、没後の仏事をいとなむ家多し。鳥部山の煙、絶えせず。舟岡((船岡山))の死人、隙さらず。あはれなるかな、いづれの時にか、船岡・鳥部のほとりに骨をさらして、むなしき名のみを残さん。悲しきかな、いかなる時にか薪にうづまれて、晴れぬ雨の曇り初めけん雲の種(たね)ともならん。朝露、消えやすく、春の夜の夢、長きにあらず。刹那の歓楽、かへりて苦の縁となる。世の中に思ひを留めて、生死の無常を思はざる、口惜しきには侍らずや。
  
 さても、「六塵の境に心を留めじ」と侍れども、思ひなれぬる名残の、なほしたはれて、眼を開けば、境界あてやかにて心動き、耳をそばだつれば、歌詠・音楽、品々にして、思ひをすすむ。これ、まことにかたきに似侍れども、万物は心の所変なり。心を離れて、顕色・音楽あることなし。顕色・音楽、心が所作にて、実あらずは、かれを執する心、また無かるべし。 さても、「六塵の境に心を留めじ」と侍れども、思ひなれぬる名残の、なほしたはれて、眼を開けば、境界あてやかにて心動き、耳をそばだつれば、歌詠・音楽、品々にして、思ひをすすむ。これ、まことにかたきに似侍れども、万物は心の所変なり。心を離れて、顕色・音楽あることなし。顕色・音楽、心が所作にて、実あらずは、かれを執する心、また無かるべし。
text/senjusho/m_senjusho09-09.1477761682.txt.gz · 最終更新: 2016/10/30 02:21 by Satoshi Nakagawa