text:senjusho:m_senjusho09-03
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text:senjusho:m_senjusho09-03 [2016/10/08 22:52] – 作成 Satoshi Nakagawa | text:senjusho:m_senjusho09-03 [2022/03/13 17:02] (現在) – [校訂本文] Satoshi Nakagawa | ||
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恵心の僧都((源信))の妹に、安養の尼といふ人侍りけり。年ごろ、あさからず思ひける主(あるじ)におくれて、やがてさまかへ、小野といふ山里にこもり居て、地蔵菩薩を本尊として、明け暮れ行ひ給へり。 | 恵心の僧都((源信))の妹に、安養の尼といふ人侍りけり。年ごろ、あさからず思ひける主(あるじ)におくれて、やがてさまかへ、小野といふ山里にこもり居て、地蔵菩薩を本尊として、明け暮れ行ひ給へり。 | ||
- | ある時、夜更くるまで、心を澄まして勤めうちし、「必ず、後生助け給へ」と祈り申されて、うちい寝給ひ侍りける夢に、この地蔵菩薩おはして、「いかにも助けむずるぞ。それにつけても、勤むることをもの憂くすな」と仰せらるると思ひて夢覚め侍りけり。 | + | ある時、夜更くるまで、心を澄まして勤めうちし、「必ず、後生助け給へ」と祈り申されて、うち寝ね給ひ侍りける夢に、この地蔵菩薩おはして、「いかにも助けむずるぞ。それにつけても、勤むることをもの憂くすな」と仰せらるると思ひて夢覚め侍りけり。 |
そののちは、いよいよ心をおこして、むらなく勤め行ひ給へりけるしるしありて、最後臨終の夕べ、まさしく、紫雲空に聳(そび)き、天華交はり下りて、往生の素懐をとげ給へりける。かへすがへすも、いみじく侍り。 | そののちは、いよいよ心をおこして、むらなく勤め行ひ給へりけるしるしありて、最後臨終の夕べ、まさしく、紫雲空に聳(そび)き、天華交はり下りて、往生の素懐をとげ給へりける。かへすがへすも、いみじく侍り。 |
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