text:senjusho:m_senjusho06-11
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text:senjusho:m_senjusho06-11 [2016/08/04 16:36] – 作成 Satoshi Nakagawa | text:senjusho:m_senjusho06-11 [2016/08/04 16:44] (現在) – [校訂本文] Satoshi Nakagawa | ||
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- | さいつころ、武蔵野を過ぎ侍りしに、東西南北、草のみしげりて人も住まず、草花((底本「花」なし。諸本により補う。))色々に咲きみだれて、ももうらに唐錦(からにしき)を広げたらん | + | さいつころ、武蔵野を過ぎ侍りしに、東西南北、草のみしげりて人も住まず、草花((底本「花」なし。諸本により補う。))色々に咲きみだれて、ももうらに唐錦(からにしき)を広げたらん心地のし侍りて、 |
- | 心地のし侍りて、 | + | |
武蔵野は行けども秋のはてぞなきいかなる風かすゑに吹くらん | 武蔵野は行けども秋のはてぞなきいかなる風かすゑに吹くらん | ||
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かくて、やうやく分け入りて見侍るに、花を手折て家居せる僧あり。年は五十(いそぢ)ばかりにもやならんと見ゆるほどなり。花の机に法華経巻き並べて、「入於深山思惟仏道」と貴き声して読めりけり。 | かくて、やうやく分け入りて見侍るに、花を手折て家居せる僧あり。年は五十(いそぢ)ばかりにもやならんと見ゆるほどなり。花の机に法華経巻き並べて、「入於深山思惟仏道」と貴き声して読めりけり。 | ||
- | 「何すぢの人ならん」と、ゆかしく思え侍りて、近寄り、くはしく尋ぬるに、「郁芳門院の侍に侍りしが、女院におくれ奉りし時、世のさだめなきはかなさの思ひ知られて、手づから髻(もとどり)切りて、住み慣れし都をば離れ侍りき。されども、何の勤めをすべしとも思ひさだめ侍らで、たどり歩(あり)き侍りしほどに、説法のみぎりにのぞみて侍しに、『法華経の中に、 | + | 「何すぢの人ならん」と、ゆかしく思え侍りて、近寄り、くはしく尋ぬるに、「郁芳門院((白河天皇皇女、媞子内親王。))の侍に侍りしが、女院におくれ奉りし時、世のさだめなきはかなさの思ひ知られて、手づから髻(もとどり)切りて、住み慣れし都をば離れ侍りき。されども、何の勤めをすべしとも思ひさだめ侍らで、たどり歩(あり)き侍りしほどに、説法のみぎりにのぞみて侍しに、『法華経の中に、 |
十方仏土中 唯有一乗法 無二亦無三((底本「亦」なし。諸本、及び『法華経』により補う。)) | 十方仏土中 唯有一乗法 無二亦無三((底本「亦」なし。諸本、及び『法華経』により補う。)) |
text/senjusho/m_senjusho06-11.1470296190.txt.gz · 最終更新: 2016/08/04 16:36 by Satoshi Nakagawa