text:mogyuwaka:ndl_mogyuwaka09-06
差分
このページの2つのバージョン間の差分を表示します。
次のリビジョン | 前のリビジョン | ||
text:mogyuwaka:ndl_mogyuwaka09-06 [2018/01/23 02:07] – 作成 Satoshi Nakagawa | text:mogyuwaka:ndl_mogyuwaka09-06 [2018/01/23 02:11] (現在) – [校訂本文] Satoshi Nakagawa | ||
---|---|---|---|
行 16: | 行 16: | ||
始めには、胡麻の飯・羊の干し肉(じし)・酒・桃十五を勧め、後(のち)((「のち」底本「□ち」一字虫損。書陵部本により補う。))には、絃歌の曲をほどこせり。耳に触るる所、心を動かし、涙をもよほさずといふことなし。 | 始めには、胡麻の飯・羊の干し肉(じし)・酒・桃十五を勧め、後(のち)((「のち」底本「□ち」一字虫損。書陵部本により補う。))には、絃歌の曲をほどこせり。耳に触るる所、心を動かし、涙をもよほさずといふことなし。 | ||
- | かくて、日暮れぬれば、劉劉晨・阮肇、二人の仙女とおのおの臥しにけり。情け深き心ざま、ためしなきほどに思えけり。 | + | かくて、日暮れぬれば、劉晨・阮肇、二人の仙女とおのおの臥しにけり。情け深き心ざま、ためしなきほどに思えけり。 |
- | 十五箇日にもなりぬ。「今は帰りなむ」と言ふを、仙女、慕ふ気色ねむごろにして、「君、ここに来たれること、宿福の招くところありて、契りを結ぶことを得たり。いづれの所を願ふべきぞや」と言ひて、あながちにせき止むれば、さすがに捨てがたく思えて、年半ばばかり((「年半ばばかり」は底本「トシナカハカリ」。書陵部本により訂正))にもなりけり。 | + | 十五箇日にもなりぬ。「今は帰りなむ」と言ふを、仙女、慕ふ気色ねむごろにして、「君、ここに来たれること、宿福の招くところありて、契りを結ぶことを得たり。いづれの所を願ふべきぞや」と言ひて、あながちにせき止むれば、さすがに捨てがたく思えて、年なかばばかり((「年なかばばかり」は底本「トシナカハカリ」。書陵部本により訂正))にもなりけり。 |
天気和暖なること、二・三月中のごとし。百鳥語らひ鳴きて、万木盛りに花咲けり。故郷(ふるさと)を恋ふる涙、この時にして、いよいよ切なり。すでに帰る朝(あした)にのぞみて、もろもろの仙女集まりて、絃歌の曲を尽して、二人を送る。名残(なごり)、かたみにせむかたなく思えけり。「東の洞口より帰れ」と教へて、泣く泣く別れ去りぬ。 | 天気和暖なること、二・三月中のごとし。百鳥語らひ鳴きて、万木盛りに花咲けり。故郷(ふるさと)を恋ふる涙、この時にして、いよいよ切なり。すでに帰る朝(あした)にのぞみて、もろもろの仙女集まりて、絃歌の曲を尽して、二人を送る。名残(なごり)、かたみにせむかたなく思えけり。「東の洞口より帰れ」と教へて、泣く泣く別れ去りぬ。 |
text/mogyuwaka/ndl_mogyuwaka09-06.1516640848.txt.gz · 最終更新: 2018/01/23 02:07 by Satoshi Nakagawa