Recent changes RSS feed

蒙求和歌

第9第6話(126) 劉阮天台

校訂本文

劉阮天台

漢の明帝の時、剡県に劉晨1)・阮肇といふ二人の人あり。永平十五年に、ともに「薬を採らむ」とて、天台山に入りけり。

道を踏みたがへて、粮(かて)尽きにけり。山のほどをのぞめば、一本(ひともと)の桃の木あり。ともに桃を取りて、食ひて、力出で来ぬ。

谷に下りて、手洗ひ、口漱ぐ所に、青菜・韮(にら)の花、山はらより流れ出づ。また、一つの盃(さかづき)に胡麻の飯(いひ)の砕け付きたる、流れ行くを見るに、「人里遠からず」と心得て、水を渡りて、一里を過ぎて、一の山を越えて、大きなる谷を渡りて見れば、二人の仙女あり。ことにふれて、たぐひなきさまなり。

仙女、すなはち劉阮が姓名を呼ぶこと、交はり古き者のごとし。喜びて随(したが)ひて行くほどに、黄金珠玉を飾れる館の内に入りぬ。左右につらなれる女、みどりの袖を並べて、ことごとく端正なり。すべて男は一人もなし。

始めには、胡麻の飯・羊の干し肉(じし)・酒・桃十五を勧め、後(のち)2)には、絃歌の曲をほどこせり。耳に触るる所、心を動かし、涙をもよほさずといふことなし。

かくて、日暮れぬれば、劉晨・阮肇、二人の仙女とおのおの臥しにけり。情け深き心ざま、ためしなきほどに思えけり。

十五箇日にもなりぬ。「今は帰りなむ」と言ふを、仙女、慕ふ気色ねむごろにして、「君、ここに来たれること、宿福の招くところありて、契りを結ぶことを得たり。いづれの所を願ふべきぞや」と言ひて、あながちにせき止むれば、さすがに捨てがたく思えて、年なかばばかり3)にもなりけり。

天気和暖なること、二・三月中のごとし。百鳥語らひ鳴きて、万木盛りに花咲けり。故郷(ふるさと)を恋ふる涙、この時にして、いよいよ切なり。すでに帰る朝(あした)にのぞみて、もろもろの仙女集まりて、絃歌の曲を尽して、二人を送る。名残(なごり)、かたみにせむかたなく思えけり。「東の洞口より帰れ」と教へて、泣く泣く別れ去りぬ。

さて、故郷に帰りて至りぬ。わづかに半年と思ひしに、昔の家、跡形もなく、あひ知れる人もなし。里人、これを怪しべり。七世の孫のいはく、「伝へて聞く、『上世の祖翁、山に入りて後(のち)、行方(ゆきかた)を知らずなりにけり』と言ひ伝へたることあり。もし、その人か」と言へり。

宿らむとするに所なく、帰らむとするに道なし。時に大康八年なり。

  故郷はありしにもあらず来(き)し方にまた帰るべき道は忘れぬ

翻刻

劉阮天台    漢明帝ノ時剡県ニ劉(リウ)日成(セイ)阮(クエム)肇(テツ)ト/云フフタリノ人アリ永平十五年ニトモ
ニクスリヲトラムトテ天台山ニイリケリミチヲフミタカヘテ
カテツキニケリ山ノホトヲノソメハヒトモトノモモノ木アリ
トモニモモヲトリテクヒテチカライテキヌ谷ニクタリテ手
アラヒ口ススク所ニアヲナニラノハナ山ハラヨリナカレイツ又
ヒトツノサカツキニコマノイヰノクタケツキタルナカレユクヲミルニ
人サトトヲカラスト心ヘテ水ヲワタリテ一里ヲスキテ/d2-8l
一ノ山ヲコヘテヲホキナルタニヲワタリテミレハ二人ノ仙女
アリ事ニフレテタクイナキサマナリ仙女スナハチ劉阮カ
姓名ヲヨフ事マシハリフルキ物ノコトシヨロコヒテ随テユ
クホトニ黄金珠玉ヲカサレル館ノ内ニ入ヌ左右ニツラナレ
ルヲンナミトリノソテヲナラヘテコトコトク端正ナリスヘテ
ヲトコハヒトリモナシハシメニハコマノイヰ羊ノホシシシサケモモ
十五ヲススメ□チニハ絃哥ノ曲クヲホトコセリミミニフルル所心ヲ
ウコカシナミタヲモヨヲサスト云事ナシカクテ日クレヌレハ
劉日成阮肇フタリノ仙女トヲノヲノフシニケリナサケフカキ
心サマタメシナキホトニヲホヘケリ十五箇日ニモナリヌ今ハ
カヘリナムト云ヲ仙女シタフケシキネムコロニシテキミココニ
キタレル事宿福ノマネク所アリテチキリヲムスフ事ヲ
エタリイツレノトコロヲネカウヘキソヤト云テアナカチニセキト
ムレハサスカニステカタクヲホヘテトシナカハカリニモナリケリ/d2-9r
天気和暖ナルコト二三月中ノコトシ百鳥カタラヒナキテ万
木サカリニ花サケリフルサトヲコフルナミタコノ時ニシテ弥切ナリ
ステニカヘルアシタニノソミテモロモロノ仙女アツマリテ絃哥ノ
曲ヲツクシテ二人ヲヲクルナコリカタミニセム方ナクヲホエ
ケリ東ノ洞口ヨリカヘレトヲシヘテナクナクワカレサリヌサテ
フルサトニカヘリテイタリヌワツカニ半年ト思ヒシニ昔ノ家
アトカタモナクアヒシレル人モナシサト人コレヲアヤシヘリ
七世ノ孫ノイハクツタヘテキク上世ノ祖翁山ニ入テノチユ
キカタヲシラスナリニケリトイヒツタヘタルコトアリモシ
ソノ人カト云リヤトラムトスルニ所ナクカヘラムトスルニミチナシ
時ニ大康八年ナリ
  フルサトハアリシニモアラスキシ方ニ又カヘルヘキ道ハワスレヌ/d2-9l
1)
晨は底本「日成」。典拠により訂正。以下同じ。
2)
「のち」底本「□ち」一字虫損。書陵部本により補う。
3)
「年なかばばかり」は底本「トシナカハカリ」。書陵部本により訂正
text/mogyuwaka/ndl_mogyuwaka09-06.txt · 最終更新: 2018/01/23 02:11 by Satoshi Nakagawa
CC Attribution-Share Alike 4.0 International
Recent changes RSS feed Driven by DokuWiki

yatanavi.org ©2004-2018 Satoshi Nakagawa