text:mogyuwaka:ndl_mogyuwaka09-06
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text:mogyuwaka:ndl_mogyuwaka09-06 [2018/01/23 02:07] – 作成 Satoshi Nakagawa | text:mogyuwaka:ndl_mogyuwaka09-06 [2018/01/23 02:11] – [校訂本文] Satoshi Nakagawa | ||
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始めには、胡麻の飯・羊の干し肉(じし)・酒・桃十五を勧め、後(のち)((「のち」底本「□ち」一字虫損。書陵部本により補う。))には、絃歌の曲をほどこせり。耳に触るる所、心を動かし、涙をもよほさずといふことなし。 | 始めには、胡麻の飯・羊の干し肉(じし)・酒・桃十五を勧め、後(のち)((「のち」底本「□ち」一字虫損。書陵部本により補う。))には、絃歌の曲をほどこせり。耳に触るる所、心を動かし、涙をもよほさずといふことなし。 | ||
- | かくて、日暮れぬれば、劉劉晨・阮肇、二人の仙女とおのおの臥しにけり。情け深き心ざま、ためしなきほどに思えけり。 | + | かくて、日暮れぬれば、劉晨・阮肇、二人の仙女とおのおの臥しにけり。情け深き心ざま、ためしなきほどに思えけり。 |
十五箇日にもなりぬ。「今は帰りなむ」と言ふを、仙女、慕ふ気色ねむごろにして、「君、ここに来たれること、宿福の招くところありて、契りを結ぶことを得たり。いづれの所を願ふべきぞや」と言ひて、あながちにせき止むれば、さすがに捨てがたく思えて、年半ばばかり((「年半ばばかり」は底本「トシナカハカリ」。書陵部本により訂正))にもなりけり。 | 十五箇日にもなりぬ。「今は帰りなむ」と言ふを、仙女、慕ふ気色ねむごろにして、「君、ここに来たれること、宿福の招くところありて、契りを結ぶことを得たり。いづれの所を願ふべきぞや」と言ひて、あながちにせき止むれば、さすがに捨てがたく思えて、年半ばばかり((「年半ばばかり」は底本「トシナカハカリ」。書陵部本により訂正))にもなりけり。 |
text/mogyuwaka/ndl_mogyuwaka09-06.txt · 最終更新: 2018/01/23 02:11 by Satoshi Nakagawa