text:kohon:kohon068
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text:kohon:kohon068 [2014/06/22 15:45] – 作成 Satoshi Nakagawa | text:kohon:kohon068 [2014/06/22 19:23] – [校訂本文] Satoshi Nakagawa | ||
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今は昔、小松の僧都と申す人おはしけり。また小法師にての折、山より鞍馬へ参り給ひけり。 | 今は昔、小松の僧都と申す人おはしけり。また小法師にての折、山より鞍馬へ参り給ひけり。 | ||
- | 「三日ばかり参らん」とて、「同じくは七日参らん」とて、参り給ふほどに、三七日に延べて、「同じくは夢なと見るまで」とて、百日参り給ふほどに、夢見ねば、二三百日参りて、同じくは千日参るに、夢見ねば、「さりとては、いかでかさるやうはあらん」とて、二千日まいるほどになを夢見ねば、三千日参り歩くに、夢見えず。はかばかしくなるとはおぼゆることもなし。 | + | 「三日ばかり参らん」とて、「同じくは七日参らん」とて、参り給ふほどに、三七日に延べて、「同じくは夢なと見るまで」とて、百日参り給ふほどに、夢見ねば、二三百日参りて、同じくは千日参るに、夢見ねば、「さりとては、いかでかさるやうはあらん」とて、二千日参るほどに、なほ夢見ねば、三千日参り歩くに、夢見えず。はかばかしくなるとはおぼゆることもなし。 |
「縁こそはおはしまさざるらめ。この御寺見むこと、ただ今宵ばかりなり。ただ三千日、ことなく参り果てたるをにてあらん」とて、行ひもせず、額(ぬか)もつかで、苦しければ、より臥して、よく寝入りにけるに、夢に見るやう、御帳の帷(かたびら)をひき開けて、「まことにかく年ごろ参り歩きつるに、いとほし。これ得よ」とて、物を賜べば、左右(ひだりみぎ)の手を広げて給はれば、白き米をひと物入れさせ給へりと見て、驚きて、手を見れば、まことに左右の手にひと物入りたり。 | 「縁こそはおはしまさざるらめ。この御寺見むこと、ただ今宵ばかりなり。ただ三千日、ことなく参り果てたるをにてあらん」とて、行ひもせず、額(ぬか)もつかで、苦しければ、より臥して、よく寝入りにけるに、夢に見るやう、御帳の帷(かたびら)をひき開けて、「まことにかく年ごろ参り歩きつるに、いとほし。これ得よ」とて、物を賜べば、左右(ひだりみぎ)の手を広げて給はれば、白き米をひと物入れさせ給へりと見て、驚きて、手を見れば、まことに左右の手にひと物入りたり。 |
text/kohon/kohon068.txt · 最終更新: 2014/09/21 13:31 by Satoshi Nakagawa