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text:kara:m_kara018 [2014/11/30 02:27] – [3] Satoshi Nakagawatext:kara:m_kara018 [2014/11/30 02:35] (現在) – [4] Satoshi Nakagawa
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 かくて二年(ふたとせ)ばかりにもなりぬるに、幻(まぼろし)といふ仙人参りて、「我が君の御心に楊貴妃を思せることの、限りなきそこを知れり。六の道おぼつかなき所なし。願はくは、生まれ給ひつらん所を尋ね見て、帰り参らん」と聞こえさする。嬉しく思さるること限りなくて、御物思ひ、たちまちにおこたりぬ。 かくて二年(ふたとせ)ばかりにもなりぬるに、幻(まぼろし)といふ仙人参りて、「我が君の御心に楊貴妃を思せることの、限りなきそこを知れり。六の道おぼつかなき所なし。願はくは、生まれ給ひつらん所を尋ね見て、帰り参らん」と聞こえさする。嬉しく思さるること限りなくて、御物思ひ、たちまちにおこたりぬ。
  
-幻、空に昇り地に入りて、至らぬ所なく求むるに、そのしるしなし。雲に乗りつつ、なほ東ざまへ飛び行くに、わたつうみの中にいと高き山あり。その上に玉の台(うてな)、黄金の殿ども、軒(のき)を並べ、甍(いらか)を連ねたるよそほひ有様、すべてこの世のたぐひにあらず。また、その中(うち)に仙女あまた遊び戯ぶる。この所に行き向ひて、玉の戸ざしを打ち叩くに、言ひ知らずこの世ならぬ人出でて、幻に会へり。「楊貴妃の生まれ給へる蓬莱宮これなり」と言ふを聞くに、嬉しさ限りなくて、「唐の玄宗の御使ひなり」と聞こえさす。「楊貴妃、ただ今寝(ゐね)給へり。朝(あした)を待つべし」と言ひて返り入りぬる後、心もとなくて、一人立てり。夕べの嵐音なくて、波の上遥かに入り日さすほど、折からにや、あはれに心細くて、やうやう夜も半ば過ぐるほどに、花のとぼそに白露隙なく置けるを見るにも、+幻、空に昇り地に入りて、至らぬ所なく求むるに、そのしるしなし。雲に乗りつつ、なほ東ざまへ飛び行くに、わたつうみの中にいと高き山あり。その上に玉の台(うてな)、黄金の殿ども、軒を並べ、甍(いらか)を連ねたるよそほひ有様、すべてこの世のたぐひにあらず。また、そのうちに仙女あまた遊び戯ぶる。この所に行き向ひて、玉の戸ざしを打ち叩くに、言ひ知らずこの世ならぬ人出でて、幻に会へり。「楊貴妃の生まれ給へる蓬莱宮これなり」と言ふを聞くに、嬉しさ限りなくて、「唐の玄宗の御使ひなり」と聞こえさす。「楊貴妃、ただ今寝(ゐね)給へり。朝(あした)を待つべし」と言ひて返り入りぬる後、心もとなくて、一人立てり。夕べの嵐音なくて、波の上遥かに入り日さすほど、折からにや、あはれに心細くて、やうやう夜も半ば過ぐるほどに、花のとぼそに白露隙なく置けるを見るにも、
  
   明けやらぬ花のとぼその露けさにあやなく袖のそぼちぬるかな   明けやらぬ花のとぼその露けさにあやなく袖のそぼちぬるかな
  
-かかる程に、夜も明け日も出でぬれば、楊貴妃出で給へり。黄金の簪(かむざし)光鮮かに、玉の飾り目も輝くほどなり。幻にあひ向ひて、しばしは言葉に出だし給はず、まづ落つる涙をぞ所狭きに思さる。方士も袖の(ひま)なくて、やや久しくなるほどに、楊貴妃宣はく、「天宝十四年よりこのかた、御心の内を思ひやるに、悩ましく苦しきこと限りなし。かばかり妙(たへ)なる所に生まれたれど、契りの深きによりて、我、浮名を留めし故郷のみ心にかかれる」など、様々に宣はするありさま、なほ霓裳羽衣の舞にぞ似給へる。方士、御門の御心の中(うち)を知れりければ、ありのままに聞こえさせつ。+かかる程に、夜も明け日も出でぬれば、楊貴妃出で給へり。黄金の簪(かむざし)光鮮かに、玉の飾り目も輝くほどなり。幻にあひ向ひて、しばしは言葉に出だし給はず、まづ落つる涙をぞ所狭きに思さる。方士も袖のしずく隙なくて、やや久しくなるほどに、楊貴妃宣はく、「天宝十四年よりこのかた、御心の内を思ひやるに、悩ましく苦しきこと限りなし。かばかり妙(たへ)なる所に生まれたれど、契りの深きによりて、我、浮名を留めし故郷のみ心にかかれる」など、様々に宣はするありさま、なほ霓裳羽衣の舞にぞ似給へる。方士、御門の御心のうちを知れりければ、ありのままに聞こえさせつ。
  
-互ひに心のいぶせさをはるけて、方士、帰りなんとするに、楊貴妃、黄金の簪を折りつつ、「我が物とて御門に奉れ」と宣はす。方士、これを取りて、こと浅くや思ひけん、「黄金の簪は、たぐひなき物にもあらず。そのかみ、さだめて人知れぬ御契りありけんものを、願はくは承りて奏せしめん」と言ふに、楊貴妃、気色変り、涙まさりて、思し乱るるありと見ゆ。「昔、天宝十年の秋、驪山宮にはべりし時、織女(たなばた)・彦星あひみる夕べ、長生殿の内音なくて、夜半の気色ものあはれなりしに、御門、我に立ち添ひて宣ひき。『天にあらば羽をかはす鳥となり、地にあらば枝をかはす木とならん』と。これ、君より他にまた知る人なし。この契り、限りなきによりて、必ず下界に落ちて、さだめて二たびあひ見て、むつまじきこと古きかごとくならむ。我、このことをかねて知れり。思へばしかも悲しくて、思へばまた嬉しからずや」など聞こえさせ給ふ御有様にも、忍び難き御心の中(うち)あらはれて、馬嵬の道のほとりに、今は限りと見え給ひし夕べの恨みも、なほただ今のやうに思せる気色、まことに梨花一枝春雨(はるあめ)おびたり。+互ひに心のいぶせさをはるけて、方士、帰りなんとするに、楊貴妃、黄金の簪を折りつつ、「我が物とて御門に奉れ」と宣はす。方士、これを取りて、こと浅くや思ひけん、「黄金の簪は、たぐひなき物にもあらず。そのかみ、さだめて人知れぬ御契りありけんものを、願はくは承りて奏せしめん」と言ふに、楊貴妃、気色変り、涙まさりて、思し乱るることありと見ゆ。「昔、天宝十年の秋、驪山宮にはべりし時、織女(たなばた)・彦星あひみる夕べ、長生殿の内音なくて、夜半の気色ものあはれなりしに、御門、我に立ち添ひて宣ひき。『天にあらば羽をかはす鳥となり、地にあらば枝をかはす木とならん』と。これ、君より他にまた知る人なし。この契り、限りなきによりて、必ず下界に落ちて、さだめて二たびあひ見て、むつまじきこと古きかごとくならむ。我、このことをかねて知れり。思へばしかも悲しくて、思へばまた嬉しからずや」など聞こえさせ給ふ御有様にも、忍び難き御心のうちあらはれて、馬嵬の道のほとりに、今は限りと見え給ひし夕べの恨みも、なほただ今のやうに思せる気色、まことに梨花一枝春雨(はるあめ)おびたり。
  
-  光さすばせしほたれてなほそのかみの心地こそすれ+  光さすかほばせしほたれてなほそのかみの心地こそすれ
  
-方士帰り参りてこのよしを奏せしむるに、御心日を経て悩みまさり給ひて、生まれ給はんほどをも心もとなくや思しけん、その年の夏四月に、みづからはかなくならせ給ひにけり。+方士帰り参りてこのよしを奏せしむるに、御心日を経て悩みまさり給ひて、生まれ給はんほどをも心もとなくや思しけん、その年の夏四月に、みづからはかなくならせ給ひにけり。
  
-  知らざりし玉の台(うてな)を知り得てぞ夜半の煙(けぶり)と君もなりにし+  知らざりし玉の台(うてな)を知り得てぞ夜半の煙と君もなりにし
  
-これ一人君のみにあらず。人、生まれて木石ならねば、皆おのづから情けあり。いにしへより今に至るまで、高きも卑しきも、かしこきもはかなきも、この道に入らぬ人はなし。入りとし入りぬれば、迷はずといふことなし。しかし、ただ心を動かす色にあはざらんには、おほよそこの世は皆夢幻のごとし。八苦逃るることなければ、厭ひても厭ふべし。天上の楽しみ限りなけれども、五つの衰へることなければ、願ふべきにも足らず、生まれてもよしなし。ただ、心一つにして三界を厭ひ、九品を願ふべし。極楽を願ふとも、この世に執を留めば、纜(ともづな)を解かで((底本、「とひて」とあり、「ひ」に「か歟」と傍書。傍書に従う。))舟を出ださんがごとし。極楽を願はずば、轅(ながえ)をそむきて車を走らしめんがごとし。+これ一人君のみにあらず。人、生まれて木石ならねば、皆おのづから情けあり。いにしへより今に至るまで、高きも卑しきも、かしこきもはかなきも、この道に入らぬ人はなし。入りとし入りぬれば、迷はずといふことなし。しかし、ただ心を動かす色にあはざらんには、おほよそこの世は皆夢幻のごとし。八苦逃るることなければ、厭ひても厭ふべし。天上の楽しみ限りなけれども、五つの衰へることなければ、願ふべきにも足らず、生まれてもよしなし。ただ、心一つにして三界を厭ひ、九品を願ふべし。極楽を願ふとも、この世に執を留めば、纜(ともづな)を解かで((底本、「とひて」とあり、「ひ」に「か歟」と傍書。傍書に従う。))舟を出ださんがごとし。極楽を願はずば、轅(ながえ)をそむきて車を走らしめんがごとし。
  
 この世を厭ひ極楽を願はば、苦しみを集めたる海を渡りて、楽を極めたる国に至らんことは、疑ふべからず。ゆめゆめ、出で難き悪道に返らずして、行きやすき浄土に至るべし。 この世を厭ひ極楽を願はば、苦しみを集めたる海を渡りて、楽を極めたる国に至らんことは、疑ふべからず。ゆめゆめ、出で難き悪道に返らずして、行きやすき浄土に至るべし。
text/kara/m_kara018.1417282031.txt.gz · 最終更新: 2014/11/30 02:27 by Satoshi Nakagawa