text:kankyo:s_kankyo019
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text:kankyo:s_kankyo019 [2015/07/04 16:03] – 作成 Satoshi Nakagawa | text:kankyo:s_kankyo019 [2015/08/09 16:28] (現在) – [校訂本文] Satoshi Nakagawa | ||
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- | 昔、比叡の山に、なにがしとかやいひける人のもとに、使はれける中間(ちうげん)僧ありけり。主(しう)のために一事(ひとこと)も違ふ振舞なし。いみしく真心にて、いとほしき者にぞ思はれたりける。 | + | 昔、比叡の山に、何某(なにがし)とかやいひける人のもとに、使はれける中間(ちうげん)僧ありけり。主(しう)のために一事(ひとこと)も違ふ振舞なし。いみしく真心にて、いとほしき者にぞ思はれたりける。 |
かかるほどに、年ごろ経て後、夕暮れには必ず失せて、つとめて疾く出で来ることをしけり。主もいみじく憎きことに思ひて、「坂本に行き下るに((「に」は底本「と」。諸本により訂正。))こそあめれ」など思ひけり。帰りたる時も、うちしめりて、人にはかばかしく面(をもて)なと会はすることもなし。常には涙ぐみてのみ見えければ、「行き交ふ所のことを飽き足らず思ひて、かかるにこそ」とぞ、ゆるぎなく主も人も思ひ定めける。 | かかるほどに、年ごろ経て後、夕暮れには必ず失せて、つとめて疾く出で来ることをしけり。主もいみじく憎きことに思ひて、「坂本に行き下るに((「に」は底本「と」。諸本により訂正。))こそあめれ」など思ひけり。帰りたる時も、うちしめりて、人にはかばかしく面(をもて)なと会はすることもなし。常には涙ぐみてのみ見えければ、「行き交ふ所のことを飽き足らず思ひて、かかるにこそ」とぞ、ゆるぎなく主も人も思ひ定めける。 |
text/kankyo/s_kankyo019.1435993411.txt.gz · 最終更新: 2015/07/04 16:03 by Satoshi Nakagawa