Recent changes RSS feed

閑居友

上第19話 あやしの僧の宮仕へのひまに不浄観を凝らす事

あやしのそうの宮つかへのひまに不浄観おこらす事

あやしの僧の宮仕へのひまに不浄観を凝らす事

校訂本文

昔、比叡の山に、何某(なにがし)とかやいひける人のもとに、使はれける中間(ちうげん)僧ありけり。主(しう)のために一事(ひとこと)も違ふ振舞なし。いみしく真心にて、いとほしき者にぞ思はれたりける。

かかるほどに、年ごろ経て後、夕暮れには必ず失せて、つとめて疾く出で来ることをしけり。主もいみじく憎きことに思ひて、「坂本に行き下るに1)こそあめれ」など思ひけり。帰りたる時も、うちしめりて、人にはかばかしく面(をもて)なと会はすることもなし。常には涙ぐみてのみ見えければ、「行き交ふ所のことを飽き足らず思ひて、かかるにこそ」とぞ、ゆるぎなく主も人も思ひ定めける。

さて、ある時、人を付けて見せければ、西坂本を下りて蓮台野にぞ行きにける。この使、「あやしく、何わざぞ」と見ければ、あちこち分け過ぎて、いひ知らずいまいましくみだれたる死人のそばに居て、目を閉ぢ、目を開きして、たびたびかやうにしつつ、声も惜しまずぞ泣きける。夜もすがらかやうにして、鐘も打つほどになりぬれば、涙押しのごひてなん返りける。この使、思はずに悲しく思えて、思ふらん心のほどは知らねども、涙を流すこと限りなし。

さて返きぬ。「いかに」と尋ぬれば、「その事に侍り。この人、あやしく露深くしほれけるは、理(ことはり)にぞ侍るべき。かうかうのことの侍りて、はや失せけるなるべし。いみじき聖の行ひを、みだりにあやしのさまに思ひ汚しける罪のほども逃れがたく、悲しくて」と言ひけり。あるじ、驚きて、その後はいみじき敬ひをいたして、さらに常の人に振舞比べず。

さて、ある時、朝(あした)の粥を持て来たりけるに、あたりに人もなく侍りければ、「まことにや、おのれは不浄観凝らすことあんなる」と言ひければ、「さること、いかでか侍らん。さやうのことは智恵ある人こそし侍るなれ。この身の有様は皆知ろし召したるらむ」と言ひけり。「いかにかかることは言ふぞ。皆知りたるものを。その後は、心ばかりは尊くありがたく思ふに、かく心置きてあるこそ」と言ひければ、「その事に侍り。何と深くは知り侍らねども、おろおろはつかうまつり侍り」と言ひければ、「さだめて験(しるし)あるらんな。その粥、観じて見せ給へ」と言ひければ、折敷(おしき)をうち覆ひて、とはかり観念して、開けて侍りければ、皆白き虫にぞなりてける。これを見て、このあるじ、さめざめと泣きて、「かならず我を導き給へよ」と懇ろにぞ誂へける。いとありがたく侍りけることにこそ。

天台大師の、次第禅門といふ文に、「愚かならん者、塚のほとりに行きて、みだれ腐りたらん死人を見れば、観念成就し易し」と侍るめれば、この人もさやうに侍りけるにこそ。また、止観の中に、観を説きて侍るには、山河2)も皆不浄なり。食ひ物、着物、また不浄なり。飯3)は白き虫のごとし、衣は臭き物の皮のごとし」なと侍るめれば、彼の人の観念、実(まこと)にいみじくて、おのづから聖教の文に合ひかなひて侍りけるにこそ。されば、天竺の仏教比丘は、「器物(うつはもの)は髑髏のごとし、飯は虫のごとし、衣は蛇(くちなは)の皮のごとし」と説き、唐土(もろこし)の道宣律師は、「木はこれ人の骨なり。土はこれ人の肉4)なり」とは、説き給ふぞかし。

かやうのいみじき人々の説き置き給ふことをも知らぬあやしの僧の、おのづからその教へに当りて侍りけん、頼もしくも侍るかな。その観(くわん)を成就するまでこそなくとも、かやうに 知り初めなば、さすが石木(いはき)ならねば、五欲5)の思 ひ、やうやう薄くなりて、昔にもあらぬ心になり侍りなんずるぞかし。

折節の移れば変はる衣手に、すずろに心を砕き、朝夕の柴折りくぶる煙(けぶり)ゆゑに、いたづらに身を悩まし侍らんは、げに蛇(くちなは)の皮を尋ね、白き虫を求めて、西に走り東にかへりみるに変らざるべし。かやうに言ふを世の中の人は、「堪へがたのことや。生ける身のならひ、この二事(ふたこと)は高きもあやしきも、皆あることぞかし。さなくは、いかでか時の間も長らへて行ひをもすべき」など、あらぬさまにいふこともあるべし。これはいみじき僻事なり。されば、仏も、「ふつに用ゐることなかれ」とは戒め給はず。ただ、「かやうに思ひやりて、いみじき思ひをなすことなかれ」とぞ教へ給ふめる。この理(ことはり)を知らぬになりて、鮮かなる衣、こまやかなる味はひ、貪欲6)の心も深く起こり、をろそかなる味はひ、落ちぶれたる衣には、瞋恚(しんい)の思ひ浅からず。

善し悪しは代れども、輪廻(りんゑ)の種となることは、これ同じかるべし。必ず善し悪しにつけて、慈悲心を先として、「あはれ、いかなるものの営み、たしなみて、『わびし』と思ひつらん」と、あはれをかくべし。うき世にあり経て、人に交らひけるならひの口惜しさは、さしあたりて、人の目立たしく思ひたるときには、さは思へども、忍びがかたきことも侍るべきにや。それにつけても、「あはれ、無益(むやく)に侍るべきことかな。夢の中(うち)のかりそめごとゆゑに、長き夜に眠(ねぶ)らんこと、からくぞ侍るべき」など、思ふべきにや。かやうにだに思ひて、少し悲しむ心も侍れかし。

翻刻

むかしひゑの山になにかしとかやいひける人
のもとにつかはれける中間僧ありけりしうの
ためにひと事もたかうふるまひなしいみ
しくま心にていとをしきものにそおもはれた
りけるかかるほとにとしころへて後ゆふくれには/上53オb113
かならすうせてつとめてとくいてくる事をし
けりしうもいみしくにくき事に思ひてさかも
とにゆきくたるとこそあめれなと思ひけりかへり
たるときもうちしめりて人にはかはかしくを
もてなとあはする事もなしつねにはなみたく
みてのみみゑけれはゆきかふところの事をあき
たらすおもひてかかるにこそとそゆるきなくし
うも人も思ひさためけるさてあるとき人をつけ/上53ウb114
てみせけれはにしさかもとをくたりてれんたい
野にそゆきにけるこのつかひあやしくなにわさ
そとみけれはあちこちわけすきていひしらす
いまいましくみたれたる死人のそはにゐてめをと
ちめをひらきしてたひたひかやうにしつつこゑ
もおしますそなきける夜もすからかやうに
してかねもうつほとになりぬれはなみたおし
のこひてなん返けるこのつかひおもはすにかな/上54オb115
しくおほえておもふらん心のほとはしらねとん
なみたをなかす事かきりなしさて返きぬいか
にとたつぬれはその事に侍この人あやしく露
ふかくしほれけるはことはりにそ侍へきかうかうの事
の侍てはやうせけるなるへしいみしきひしり
のおこなひをみたりにあやしのさまに思ひけか
しけるつみのほとものかれかたくかなしくてと
いひけりあるしおとろきて其後はいみしき/上54ウb116
うやまひをいたしてさらにつねの人にふるまひ
くらへすさてあるときあしたのかゆをもてき
たりけるにあたりに人もなく侍けれはまことに
やおのれは不浄観こらす事あんなるといひけ
れはさる事いかてか侍らんさやうの事はちゑあ
る人こそし侍なれこの身のありさまはみなし
ろしめしたるらむといひけりいかにかかる事は
いふそみなしりたるものをそののちは心はかりは/上55オb117
たうとくありかたく思にかく心おきてあるこそ
といひけれはその事に侍なにとふかくはしり
侍らねともおろおろはつかうまつり侍といひけれはさ
ためてしるしあるらんなそのかゆ観して
見せたまへといひけれはおしきをうちおほひて
とはかり観念してあけて侍けれはみなしろきむ
しにそなりてけるこれをみてこのあるし
さめさめとなきてかならす我を道ひき給へよと/上55ウb118
ねんころにそあつらへけるいとありかたく侍ける
事にこそ天台大師の次第禅門といふ文におろか
ならんものつかのほとりにゆきてみたれくさり
たらん死人をみれは観念成就しやすしと侍
めれはこの人もさやうに侍けるにこそまた止観
のなかに観をときて侍には山(サン)河も皆不浄也くひ
ものきもの又ふしやう也飯(ハン)はしろき虫のことし
衣はくさきもののかはのことしなと侍めれはかの/上56オb119
人の観念実(まこと)にいみしくておのつから聖教の文にあひ
かなひて侍けるにこそされは天竺の仏教比丘は
うつはものはとくろのことし飯は虫のことし
衣はくちなはのかはのことしとときもろこしの
道宣律師はきはこれ人の骨也土はこれ人の肉(ニク・シシムラ)
也とは説たまふそかしかやうのいみしき人々のとき
おき給事をもしらぬあやしの僧のおのつから
そのおしへにあたりて侍けんたのもしくも侍かな/上56ウb120
そのくわんお成就するまてこそなくともかやうに
しりそめなはさすかいはきならねは五欲(ヨク)の思
やうやううすくなりてむかしにもあらぬ心になり
侍なんするそかしおりふしのうつれはかはる
ころもてにすすろに心をくたきあさゆふのしは
おりくふるけふりゆゑにいたつらに身おなやまし
侍らんはけにくちなはのかはをたつねしろき
むしをもとめてにしにはしり東にかへりみ/上57オb121
るにかはらさるへしかやうにいふを世中の人は
たゑかたの事やいける身のならひこの二こと
はたかきもあやしきもみなある事そかし
さなくはいかてか時のまもなからゑておこなひ
をもすへきなとあらぬさまにいふ事もあるへ
しこれはいみしきひか事也されは仏もふつに
もちゐる事なかれとはいましめたまはすたた
かやうに思ひやりていみしき思ひおなす事なかれと/上56ウb122
そをしへ給めるこのことはりをしらぬにな
りてあさやかなるころもこまやかなるあちはひ
貪(トン)欲ノ心もふかくをこりをろそかなるあちはひ
をちふれたるころもにはしんいの思ひあさからす
よしあしはかはれともりんゑのたねとなる事
はこれをなしかるへしかならすよしあしに
つけて慈悲心おさきとしてあはれいかなる
もののいとなみたしなみてわひしと思つらん/上58オb123
とあはれをかくへしうきよにありへて人にまし
らひけるならひのくちおしさはさしあたり
て人のめたたしく思ひたるときにはさはおもへ
ともしのひかたき事も侍へきにやそれにつ
けてもあはれむやくに侍へき事かなゆめのうちの
かりそめ事ゆへになかきよにねふらん事から
くそ侍へきなと思へきにやかやうにたに思てす
こしかなしむ心も侍かし/上58ウb124
1)
「に」は底本「と」。諸本により訂正。
2)
底本「山」の右に「サン」と傍注。
3)
底本「飯」の右に「ハン」と傍注。
4)
底本、「肉」の右に「ニク」、左に「シシムラ」と傍注あり。
5)
底本「欲」の右に「ヨク」と傍注
6)
底本「貪」の右に「トン」と傍注。
text/kankyo/s_kankyo019.txt · 最終更新: 2015/08/09 16:28 by Satoshi Nakagawa
CC Attribution-Share Alike 4.0 International
Recent changes RSS feed Driven by DokuWiki

yatanavi.org ©2004-2017 Satoshi Nakagawa