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text:kankyo:s_kankyo010 [2015/06/07 21:18] – 作成 Satoshi Nakagawatext:kankyo:s_kankyo010 [2015/06/07 21:19] (現在) – [校訂本文] Satoshi Nakagawa
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 さて、この人言ふやう、「昔の唐土(もろこし)の竺道生の、『涅槃経を説く』とて、高座にて法説き終りて、やがて死に給ひけんこと、いみじく尊く侍り。あはれ、ただ今かくて死に侍らばや」など、言ひもあへず、さめざめと泣く。やや久しう顔も上げねば、「あやし」と思ふほどに、やがてなん身まかりにけるとなん。 さて、この人言ふやう、「昔の唐土(もろこし)の竺道生の、『涅槃経を説く』とて、高座にて法説き終りて、やがて死に給ひけんこと、いみじく尊く侍り。あはれ、ただ今かくて死に侍らばや」など、言ひもあへず、さめざめと泣く。やや久しう顔も上げねば、「あやし」と思ふほどに、やがてなん身まかりにけるとなん。
  
-このことを聞きしに、限りなくあはれに尊く思えき。高僧伝を見侍りしに、かの竺道生の所にて多くの涙をこぼせり。廬山の精舎((底本「シヤウシヤ」と傍書。))にて、法座に昇りて法を説き給ふに、終りなんとせし時、たちまちに手に持ちたる麈尾((底本「シユヒ」と傍書。))の高座より落ちけるにぞ、涅槃に入りにけりとは知り初め侍りける。+このことを聞きしに、限りなくあはれに尊く思えき。高僧伝を見侍りしに、かの竺道生の所にて多くの涙をこぼせり。廬山の精舎((底本「シヤウシヤ」と傍書あり。))にて、法座に昇りて法を説き給ふに、終りなんとせし時、たちまちに手に持ちたる麈尾((底本「シユヒ」と傍書あり。))の高座より落ちけるにぞ、涅槃に入りにけりとは知り初め侍りける。
  
 すべてこの経は、いづれの経よりもなつかしき物から、わびしく悲しく侍り。まづ初めに、「かくのごとく我聞きき。一時、仏物尸那城力士生池阿利羅跋提河((底本「クシナシヤウリキシシヤウチアリラハツタイカ」と傍書あり。))のほとり沙羅双樹((底本「サラサウシュ」と傍書あり。))の間にましましき」と言ふより、何となく涙浮びて、心細くあぢきなし。心もみな浮き立ちて、何のあやめ思えず。あやしの虫・鳥なとの類(たぐひ)も、みな参り臨みけるに、「いかなる罪の報ひにて、その時いづれの所にありて、参り合はざりけん」と、さらに身も恨めしく、かきくらしてぞ思ゆる。 すべてこの経は、いづれの経よりもなつかしき物から、わびしく悲しく侍り。まづ初めに、「かくのごとく我聞きき。一時、仏物尸那城力士生池阿利羅跋提河((底本「クシナシヤウリキシシヤウチアリラハツタイカ」と傍書あり。))のほとり沙羅双樹((底本「サラサウシュ」と傍書あり。))の間にましましき」と言ふより、何となく涙浮びて、心細くあぢきなし。心もみな浮き立ちて、何のあやめ思えず。あやしの虫・鳥なとの類(たぐひ)も、みな参り臨みけるに、「いかなる罪の報ひにて、その時いづれの所にありて、参り合はざりけん」と、さらに身も恨めしく、かきくらしてぞ思ゆる。
text/kankyo/s_kankyo010.1433679495.txt.gz · 最終更新: 2015/06/07 21:18 by Satoshi Nakagawa