text:kankyo:s_kankyo005
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text:kankyo:s_kankyo005 [2015/06/03 03:14] – 作成 Satoshi Nakagawa | text:kankyo:s_kankyo005 [2015/06/04 23:22] (現在) – [校訂本文] Satoshi Nakagawa | ||
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二には常行三昧。いはく、九十日を限りて、身に常に行道し、口に常に阿弥陀仏の名を唱へ、心に常に阿弥陀仏を念じて、休みやむことなし。神を運ばずして諸仏を見奉り、仏の説法を聞くなり。 | 二には常行三昧。いはく、九十日を限りて、身に常に行道し、口に常に阿弥陀仏の名を唱へ、心に常に阿弥陀仏を念じて、休みやむことなし。神を運ばずして諸仏を見奉り、仏の説法を聞くなり。 | ||
- | 三には半行半坐三昧。いはく、日夜六時に六根の罪を懺悔して、百千万億阿僧祇劫の罪を滅して、五欲を離れずして六根を浄め、釈迦・多宝・文殊・薬王等の諸々(もろもろ)の大菩薩((「菩薩」底本合字。いわゆるササ菩薩。以下同じ。))を見奉る。 | + | 三には半行半坐三昧。いはく、日夜六時に六根の罪を懺悔して、百千万億阿僧祇劫の罪を滅して、五欲を離れずして六根を浄め、釈迦・多宝・文殊・薬王等の諸々(もろもろ)の大菩薩を見奉る。 |
四には非行坐三昧。いはく、随自意これなり。諸経に説くところの行ひの、上(かみ)の三に当らざるは、みな随自意三昧なるべし。 | 四には非行坐三昧。いはく、随自意これなり。諸経に説くところの行ひの、上(かみ)の三に当らざるは、みな随自意三昧なるべし。 |
text/kankyo/s_kankyo005.1433268856.txt.gz · 最終更新: 2015/06/03 03:14 by Satoshi Nakagawa