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text:k_konjaku:k_konjaku24-31 [2014/09/14 14:41] – 作成 Satoshi Nakagawatext:k_konjaku:k_konjaku24-31 [2019/12/22 13:04] (現在) – [巻24第31話 延喜御屏風伊勢御息所読和歌語 第卅一] Satoshi Nakagawa
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 ====== 巻24第31話 延喜御屏風伊勢御息所読和歌語 第卅一 ====== ====== 巻24第31話 延喜御屏風伊勢御息所読和歌語 第卅一 ======
  
-今昔、延喜の天皇、御子の宮の御着袴(はかまぎ)の料に、御屏風を為させ給て、其の色紙形に書くべき故に、歌読共に「各、和歌(うた)読みて奉れ」と仰せ給ひければ、皆読て奉りけるを、小野道風と云ふ手書を以て書かしめ給ければ、春の帖に、桜の花栄(さき)たる所に、女車の山路行たる絵を書きたる所に当て色紙形有り、其れを思し食し落して、歌読共にも給はざりければ、道風、書き持(もて)行くに、其の歌無ければ、天皇、此れを御覧じて、「此は何がせむと為る。今日に成ては俄に誰が此れを読むべき。可咲しき所の歌しも無からむこそ、口惜しけれ」と仰せられて、暫く思食し廻して、藤原伊衡と云ふ殿上人の少将にて有けるを召ぬ。+今昔、延喜の天皇((醍醐天皇))、御子の宮の御着袴(はかまぎ)の料に、御屏風を為させ給て、其の色紙形に書くべき故に、歌読共に「各、和歌(うた)読みて奉れ」と仰せ給ひければ、皆読て奉りけるを、小野道風と云ふ手書を以て書かしめ給ければ、春の帖に、桜の花栄(さき)たる所に、女車の山路行たる絵を書きたる所に当て色紙形有り、其れを思し食し落して、歌読共にも給はざりければ、道風、書き持(もて)行くに、其の歌無ければ、天皇、此れを御覧じて、「此は何がせむと為る。今日に成ては俄に誰が此れを読むべき。可咲しき所の歌しも無からむこそ、口惜しけれ」と仰せられて、暫く思食し廻して、藤原伊衡と云ふ殿上人の少将にて有けるを召ぬ。即ち参ぬ。
  
-即ち参ぬ。仰せられて云く、「只今、伊勢御息所の許に行て、『此る事なむ有る。歌読て』」とて遣はす。此の御使に伊衡を遣す事は、此の人、形ち・有様より始て、人柄なむ有ける。然れば、「御息所『恥かし』と思ぬべき者は此なむ有る」と思食して、撰て遣すなるべし。+仰せられて云く、「只今、伊勢御息所の許に行て、『此る事なむ有る。歌読て』」とて遣はす。此の御使に伊衡を遣す事は、此の人、形ち・有様より始て、人柄なむ有ける。然れば、「御息所『恥かし』と思ぬべき者は此なむ有る」と思食して、撰て遣すなるべし。
  
-然て、此の御息所は極て物の上手にて有ける。大和守忠房と云ふ人の娘也。亭子院の天皇の御時に参て有ければ、天皇極く時めき思食して、御息所にも成られたる也。形ち・心ばせより始め、故有て可咲く微妙かりけり。和歌を読む事は、其の時の躬恒・貫之にも劣らざりけり。其れに、亭子院の、法師に成らせ給て、大内山と云ふ所に深く入て行はせ給ければ、此の御息所も世の中冷(すさまじく)思へて、家につくづくと長め居たる也けり。+然て、此の御息所は極て物の上手にて有ける。大和守忠房と云ふ人の娘也。亭子院の天皇((宇多天皇))の御時に参て有ければ、天皇極く時めき思食して、御息所にも成られたる也。形ち・心ばせより始め、故有て可咲く微妙かりけり。和歌を読む事は、其の時の躬恒((凡河内躬恒))・貫之((紀貫之))にも劣らざりけり。其れに、亭子院の、法師に成らせ給て、大内山((仁和寺))と云ふ所に深く入て行はせ給ければ、此の御息所も世の中冷(すさまじく)思へて、家につくづくと長め居たる也けり。
  
 内渡の事共、事に降れて思ひ出でられて、物哀に思ひ居たる間に、門の方に前追ふ音す。襴(とのゐ)姿なる人、入り来る。「誰にか有らむ」と思て見れば、伊衡の少将の来れる也けり。思ひ懸けずして、「何事にか有らむ」と思て。人を以て問はしむ。 内渡の事共、事に降れて思ひ出でられて、物哀に思ひ居たる間に、門の方に前追ふ音す。襴(とのゐ)姿なる人、入り来る。「誰にか有らむ」と思て見れば、伊衡の少将の来れる也けり。思ひ懸けずして、「何事にか有らむ」と思て。人を以て問はしむ。
  
-伊衡は、仰を承(うけたまはり)て御息所の家に行て見れば、五条渡なる所也。庭の木立ち極て木暗くて、前栽極く可咲く殖たり。庭は苔砂青み渡たり。三月許の事なれば、前の桜おもしろ((底本言偏に慈))く栄へ、寝殿の南面に帽額(もかう)の簾所々破て、神さびたり。伊衡、中門の脇の廊に立て、人を以て、「内の御使にて、伊衡と申す人なむ参たる」と云せたれば、若き侍の男出来て、「此方に入らせ給へ」と云へば、寝殿の南面に歩み寄て居たる内に、故びたる女房の音にて、「内に入らせ給へ」と云ふ。+伊衡は、仰を承(うけたまはり)て御息所の家に行て見れば、五条渡なる所也。庭の木立ち極て木暗くて、前栽極く可咲く殖たり。庭は苔砂青み渡たり。三月許の事なれば、前の桜おもしろ((底本言偏に慈))く栄へ、寝殿の南面に帽額(もかう)の簾所々破て、神さびたり。伊衡、中門の脇の廊に立て、人を以て、「内の御使にて、伊衡と申す人なむ参たる」と云せたれば、若き侍の男出来て、「此方に入らせ給へ」と云へば、寝殿の南面に歩み寄て居たる内に、故びたる女房の音にて、「内に入らせ給へ」と云ふ。
  
 簾を掻上て見れば、母屋の簾は下したり。朽木形の几帳の清気なる、三間許りに副て立たり。西東三間許去(のき)て、四尺の屏風の中馴たる立たり。母屋の簾に副へて、高麗端(べり)の畳を敷て、其の上に唐錦の菌敷きたり。板敷の瑩(みが)かれたる事、鏡の如し。影残り無く移りて見ゆ。屋の体旧くして神さびたり。寄て菌((茵(しとね)の誤植か))の喬(わき)の方に居たれば、空薫(そらだき)の香、氷(ひ)ややかに馥(かうば)しく、ほのぼの匂ひ出づ。清気なる女房の袖口共透たり。額つき吉き二三人許、簾より透て見ゆ。簾の気色、極く故有りて可咲し。 簾を掻上て見れば、母屋の簾は下したり。朽木形の几帳の清気なる、三間許りに副て立たり。西東三間許去(のき)て、四尺の屏風の中馴たる立たり。母屋の簾に副へて、高麗端(べり)の畳を敷て、其の上に唐錦の菌敷きたり。板敷の瑩(みが)かれたる事、鏡の如し。影残り無く移りて見ゆ。屋の体旧くして神さびたり。寄て菌((茵(しとね)の誤植か))の喬(わき)の方に居たれば、空薫(そらだき)の香、氷(ひ)ややかに馥(かうば)しく、ほのぼの匂ひ出づ。清気なる女房の袖口共透たり。額つき吉き二三人許、簾より透て見ゆ。簾の気色、極く故有りて可咲し。
text/k_konjaku/k_konjaku24-31.txt · 最終更新: 2019/12/22 13:04 by Satoshi Nakagawa