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text:k_konjaku:k_konjaku24-22 [2014/09/01 02:43] – 作成 Satoshi Nakagawatext:k_konjaku:k_konjaku24-22 [2019/12/18 22:01] (現在) – [巻24第22話 俊平入道弟習算術語 第廿二] Satoshi Nakagawa
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 +今昔物語集
 ====== 巻24第22話 俊平入道弟習算術語 第廿二 ====== ====== 巻24第22話 俊平入道弟習算術語 第廿二 ======
  
 今昔、丹後前司高階俊平朝臣と云ふ者有りき。後には法師に成て、丹後入道とて有し。其の弟に、官も無くて只有る者有けり。名をば□□□。 今昔、丹後前司高階俊平朝臣と云ふ者有りき。後には法師に成て、丹後入道とて有し。其の弟に、官も無くて只有る者有けり。名をば□□□。
  
-其れが閑院実成の帥の共に鎮西に下て有ける程に、近く渡たりける唐人の、身の才賢き有けり。其の唐人に会て、「□□算置く事を習はむ」と云ければ、初は心にも入れで、更に教へざりけるを、片端少し算を置せて、唐人此れを見て、「汝は算置つべき者也けり。日本に有ては何にかはせむと為る。日本は算の道賢からざる所なめり。然れば、『我れに具して宋に渡らむ』と云へば、速かに教へむ」と云ひければ、□□、「吉く教へて、其の道に賢くだに成るべくは、云ふにこそは随はめ。宋に渡ても、用ゐられて有るべくは、日本に有ても何にかはせむ。云はむに随て具し渡なむ」と、事吉く云ければ、唐人、其の言に靡て、心に入れて教へけるに、一事を聞て十事を悟る様也ければ、唐人も、「我が国に算置者多かりと云へども、汝許此の道に心得たる者無し。然れば、必ず我に具して宋に渡れ」と云ければ、□□も、「然也。云はむに随はむ」とぞ云ける。+其れが閑院実成の帥((藤原実成))の共に鎮西に下て有ける程に、近く渡たりける唐人の、身の才賢き有けり。其の唐人に会て、「□□算置く事を習はむ」と云ければ、初は心にも入れで、更に教へざりけるを、片端少し算を置せて、唐人此れを見て、「汝は算置つべき者也けり。日本に有ては何にかはせむと為る。日本は算の道賢からざる所なめり。然れば、『我れに具して宋に渡らむ』と云へば、速かに教へむ」と云ひければ、□□、「吉く教へて、其の道に賢くだに成るべくは、云ふにこそは随はめ。宋に渡ても、用ゐられて有るべくは、日本に有ても何にかはせむ。云はむに随て具し渡なむ」と、事吉く云ければ、唐人、其の言に靡て、心に入れて教へけるに、一事を聞て十事を悟る様也ければ、唐人も、「我が国に算置者多かりと云へども、汝許此の道に心得たる者無し。然れば、必ず我に具して宋に渡れ」と云ければ、□□も、「然也。云はむに随はむ」とぞ云ける。
  
 「此の算の術には、病人を置て癒る((底本異体字。口へんに愈。))術も有り。亦、病を為ざる人也と云へども、妬し・悪し((「にくし」底本異体字。りっしんべんに惡))と思ふ者をば、忽に置き失なふ術も有り。事として、此の算の術に離れたる事無し。然れば、更に此の如きの事共を惜み隠さずして、皆汝に教へてむ」と。「其れに、尚『我れに具して宋に渡らむ』と誓言を立よ」よ云ければ、□□、実には思はねども、「此れを習ひ取らむ」と思ふ心にて、少許は立てけり。然れども、尚、「人を置て殺す術をば、宋に渡らむ時に、船にして伝へむ」と云て、異事共をば吉く教てけり。 「此の算の術には、病人を置て癒る((底本異体字。口へんに愈。))術も有り。亦、病を為ざる人也と云へども、妬し・悪し((「にくし」底本異体字。りっしんべんに惡))と思ふ者をば、忽に置き失なふ術も有り。事として、此の算の術に離れたる事無し。然れば、更に此の如きの事共を惜み隠さずして、皆汝に教へてむ」と。「其れに、尚『我れに具して宋に渡らむ』と誓言を立よ」よ云ければ、□□、実には思はねども、「此れを習ひ取らむ」と思ふ心にて、少許は立てけり。然れども、尚、「人を置て殺す術をば、宋に渡らむ時に、船にして伝へむ」と云て、異事共をば吉く教てけり。
text/k_konjaku/k_konjaku24-22.txt · 最終更新: 2019/12/18 22:01 by Satoshi Nakagawa