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text:k_konjaku:k_konjaku20-15 [2016/03/09 12:32] – 作成 Satoshi Nakagawatext:k_konjaku:k_konjaku20-15 [2016/03/14 18:32] (現在) – [巻20第15話 摂津国殺牛人依放生力従冥途還語 第十五] Satoshi Nakagawa
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 而る間、七年に至て遂に死ぬ。死ぬる刻みに、何(いか)にか思ひけむ、妻子に云ひ置ける様、「我れ死なむ後に、忽に葬する事無くして、九日置たれ」と。然れば、妻子、遺言の如く葬せで有る間、九日と云に活(いきかへり)て、妻子に語て云く、 而る間、七年に至て遂に死ぬ。死ぬる刻みに、何(いか)にか思ひけむ、妻子に云ひ置ける様、「我れ死なむ後に、忽に葬する事無くして、九日置たれ」と。然れば、妻子、遺言の如く葬せで有る間、九日と云に活(いきかへり)て、妻子に語て云く、
  
-「我れ死せし時、頭は牛の頭なる者の身は人なる、七人出来て、我が髪に縄を付て、其れを捕て、我れを立ち衛(かこみ)て将行きしに、道の前を見れば、器量(いかめし)く造たる楼閣有り。『此れは何なる宮ぞ』と問へば、此の七人の者、目を嗔らかして、我れを眦(にらみ)て云ふ事無し。既に門の内に将ぬれば、気高く止事無き人出来て、我を此の七人に召向て宣はく、『此の人は、此れ汝等七人を殺せる人也』と。其の時に、此の七人の者、俎と刀とを各具して、『膾に造て食てむ。此れ、我等を殺せる敵也』と云ふ。+「我れ死せし時、頭は牛の頭なる者の身は人なる、七人出来て、我が髪に縄を付て、其れを捕て、我れを立ち衛(かこみ)て将行きしに、道の前を見れば、器量(いかめし)く造たる楼閣有り。『此れは何なる宮ぞ』と問へば、此の七人の者、目を嗔らかして、我れを眦(にらみ)て云ふ事無し。既に門の内に将ぬれば、気高く止事無き人出来て、我を此の七人に召向て宣はく、『此の人は、此れ汝等七人を殺せる人也』と。其の時に、此の七人の者、俎と刀とを各具して、『膾に造て食てむ。此れ、我等を殺せる敵也』と云ふ。
  
 其の時に、千万の人、忽ちに出来て、我れを縛たる縄を解て云く、『此の事、此の人の咎に非ず。祟る所の鬼を祭らむが為に殺せる也。然ば、鬼神の咎也』と云て、此の七人の者と、千万の人との中に有て、咎有り無しを日毎に訴へ訴ふ事、火と水との如し。然ば、閻魔王、此の理非を判断し給ふ事能はず。 其の時に、千万の人、忽ちに出来て、我れを縛たる縄を解て云く、『此の事、此の人の咎に非ず。祟る所の鬼を祭らむが為に殺せる也。然ば、鬼神の咎也』と云て、此の七人の者と、千万の人との中に有て、咎有り無しを日毎に訴へ訴ふ事、火と水との如し。然ば、閻魔王、此の理非を判断し給ふ事能はず。
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 とぞ、語ける。 とぞ、語ける。
  
-其の後は、弥よ実の心を発して、鬼神を祟らずして、深く仏法を信じて、我が家をば寺と成して、仏を安置し奉て、法を修行しけり。又、弥よ放生を行じて怠る事無かりけり。其の後は、此の人を「那天宮((底本頭注「那ノ下凹字ヲ脱セルカ」))」とぞ云ける。遂に命終る時に、身に病無くして、年九十に余てぞ死にける。+其の後は、弥よ実の心を発して、鬼神を崇めずして、深く仏法を信じて、我が家をば寺と成して、仏を安置し奉て、法を修行しけり。又、弥よ放生を行じて怠る事無かりけり。其の後は、此の人を「那天宮((底本頭注「那ノ下凹字ヲ脱セルカ」))」とぞ云ける。遂に命終る時に、身に病無くして、年九十に余てぞ死にける。
  
 然ば、放生は心有らむ人の専に行ずべき事也とぞなむ、語り伝へたるとや。 然ば、放生は心有らむ人の専に行ずべき事也とぞなむ、語り伝へたるとや。
  
text/k_konjaku/k_konjaku20-15.1457494356.txt.gz · 最終更新: 2016/03/09 12:32 by Satoshi Nakagawa